「沙希ちゃんのお弁当」29万カウント突破記念

マネージャー

 後半ロスタイム、きらめき高校対素鬼高校のサッカー高校選手権決勝、きらめき高校はゴール左前、25mの位置でフリーキックを得た。
『お願い、決めて!』
 きらめき高校サッカー部のマネージャーである虹野沙希は掌を組んで天に祈った。ボールをセットしたのは加護博、沙希がスカウトしてサッカー部に引っ張ってきた選手だった。
 博が助走を取って右足を振り抜くと、ボールは素鬼高校のゴールキーパーの指先のわずか向こうをすり抜けてゴール右上隅に決まった。
 きらめき高校のイレブンが博の下へ駆け寄り歓喜の輪が出来た所で審判の長い笛がピッチに響き渡った。沙希はそれを聞くと大急ぎでピッチに向かい、博の下へ向かった。
「博君!」
 博はその声を聞くと、輪の中から抜け出して沙希の目の前に立った。
「やったね、選手権優勝だよ!」
「ありがとう、虹野さん。これも虹野さんが俺をサッカー部に誘ってくれたおかげだね」
「ううん、博君が練習頑張ったからだよ。私は応援してただけ」
 そう言うと、沙希は博の手を取った。そして、博の手を両手で握り締めると、
「やっぱり、あなたには根性があったわ。サッカー部に誘ってよかった」
と言い、にっこりと笑った。
 その後、優勝の表彰も終わり二人は帰路に着いた。
「ところで、前から聞きたかったんだけど…」
「えっ、何?」
「虹野さんが根性を大事にするようになったのって何がきっかけだったの?」
 その言葉に沙希は立ち止まると、遠い目をした。
「あれは、3年位前、私が中学3年のときだったわ…」

 今から3年前の夏、中学3年生だった沙希は今と同じくサッカー部のマネージャーをしていた。その日も練習が終わり、沙希は部室の後片付けをしていた。
「あっ、虹野、ここにいたんだ」
 部室の扉が開き、部屋に入ってきたのは沙希の幼馴染で同じくサッカー部の佐々木聡史だった。
「あら、聡史君、どうかしたの? もう帰ったかと思ってた」
「ちょっと話があるんだ。いいか?」
 そう言って、沙希をパイプ椅子に座らせると、自分もパイプ椅子を引っ張り出してきてそこに座った。
 沙希はいつもの明るい聡史の表情とは違う真剣な眼差しに戸惑いながら、聡史の言葉を待った。
「俺、転校することになった」
「えっ…」
「来月の交流試合の次の日、引っ越すことになったんだ」
 その言葉に呆然としている沙希の手を聡史はしっかりと握ると、
「俺、今はまだ補欠のメンバーにも入っていないけど、これから頑張る。そして虹野に俺の頑張ってる姿見せて笑ってさよならしたいんだ」
 そう言って部室を後にした。沙希はそれにも気付かないようで聡史に握られた手をじっと見ていた。
 その次の日から、聡史は人が変わった様に練習に打ち込んだ。それまで、決して真面目に練習に参加していたとは言いがたかったのだが、周りの部員達が目を丸くするほどの変わりようだった。
「お疲れ様、聡史君」
 聡史が猛練習するようになってから数日がすぎた。沙希は練習が終わった聡史のところにタオルを持っていった。
「おっ、サンキュ」
「聡史君、練習頑張ってるね」
 聡史はタオルを受け取ると、わしゃわしゃと顔の汗を拭いた。
「あぁ。後悔だけはしたくないからな…って、実はすでに半分後悔してるんだけどな」
 沙希は聡史からタオルを受け取ると、
「どうして?」
「いままで、もっとやれたはずなのに中途半端にしか練習やってこなかったからな。だから、これ以上の後悔はしたくないから、俺がここからいなくなるまでの練習は真剣に、後悔しないようにやろうって決めたんだ」
 聡史はそう言うと、部室棟の方へ向かった。沙希はそんな聡史の様子が気になりながらもマネージャーとしての仕事をこなしていった。
 沙希は家に帰ると、先ほどの聡史との会話を思い出していた。
「あんな聡史君初めて見た…」
 それまでの聡史に対する沙希のイメージはいつも明るくてひょうきんで面白いといったイメージだった。しかし、あの日、聡史から転校のことを打ち明けられてからは聡史のイメージが全く変わってしまっていた。
 沙希が過去と現在の聡史のギャップに戸惑っている間にもどんどん時は流れていった。聡史の転校も公になって、チーム内に次の交流試合の勝利を土産に聡史を送り出そうという空気が流れ始めた。
 そして、交流試合の三日前、チームの監督からメンバーの発表があった。
「1番、相沢。2番、明石。3番、朝倉。4番、綾瀬。5番、和泉。6番、大河内…」
 次々と名前が呼び出されていったが、レギュラーである11番までに聡史の名前は呼ばれなかった。そして、控えの名前も発表されていった。
「14番、早乙女。15番、桜咲。16番、佐々木」
 聡史の名前が呼ばれると、チームメイトから歓声が上がった。監督は歓喜のざわめきが収まるのを待って言葉を続けた。
「…佐々木は確かにこのところ頑張っていたが、正直なところ控えとしてもちょっとレベル的には足りない。でも、その頑張りとこのチームで最後の試合ということで補欠に入れさせてもらった。控えに入れなかった人には不満もあるかもしれないが、理解して欲しい」
 監督はそう言うと聡史の方を向き直って、
「メンバーに選ばれたといっても試合展開しだいでは試合に出せないかもしれない。そのことを理解しておいてくれ」
「は、はい!」
「やったな、佐々木!」
 話が終わり監督が立ち去ると、チームメイトが聡史を囲んだ。
「いや、これで終わりじゃない。このチームで最後の試合、勝って俺は旅立つ!」
「おお!」
 聡史が叫んで拳を突き上げると、チームメイトたちもそれに呼応したように拳を上げた。
「おめでとう、聡史君!」
 一通り盛り上がって、その場が落ち着いた後、沙希は聡史に話しかけた。
「いや、その言葉は試合で勝った時に取っておいてくれ」
 そう言って聡史は唇を一文字に引き締めるのだった。
 そして、試合当日がやってきた。相手は中堅校の第七中学。試合は一進一退で前半は1−1で終了した。そして、後半早々ディフェンダーのミスから第七中学に勝ち越し点を奪われてしまった。
 必死になってきらめき中学は第七中学を攻め立てるが、決定打が出ず後半30分になってしまった。
 祈る気持ちで試合を見ている沙希を横目に見ながら聡史はいつでも試合に出られるようアップをしていた。
 そして、後半35分にそれは起こった。第七中学のディフェンダーがエースストライカーの春日をペナルティエリアの中で後ろからのタックルで倒してしまったのだ。
 春日は手でばつを作ってベンチに伝えた。それを見た監督が、
「佐々木、いくぞ」
と、佐々木を呼んだ。佐々木はユニフォーム姿になると、担架で運ばれていく春日の手を軽くぎゅっと握ってピッチの中に入っていった。
 その後のPKをきっちりと決めて2−2になった後、試合は膠着状態に陥った。沙希は祈るように試合を見ていたが、内心このままで終わるんだろうと思い始めていた。
 そのまま時間は過ぎ、後半ロスタイムにきらめき中学はゴール前右25mのところでフリーキックのチャンスを得た。聡史はボールをセットした場所に行くと、周りの選手たちと話し始めた。そして、ボールの周りにいた選手達が去っていくと、聡史はボールをセットしなおし助走を取った。
 そして、審判の笛が鳴り助走から聡史が左足を振り抜くと、ボールは鋭いカーブがかかり、ゴール右隅に吸い込まれていった。
 その後約一分のロスタイムをしのぎきり、きらめき中学が勝利を収めた。聡史は試合終了後の礼が終わると、真っ先に沙希の元へ走っていった。
「虹野、勝ったぞ!」
「お、おめでとう、聡史君!」
 沙希の目には涙が浮かんでいた。聡史は沙希の涙を指で拭くと、ツンと沙希の頭をつついた。
「あのまま引き分けで終わると思ってただろ」
「えっ、そ、そんなことないよ」
「長い付き合いだから虹野の考えてることくらい分かるんだよ。虹野は高校に行ってもマネージャー続けるつもりなんだろ? その時にマネージャーが選手達のこと信じてないと選手も全力で戦えないと思うぜ」
 図星を付かれて慌てふためく沙希を真剣に見る聡史の眼差しに沙希は反省した。
「そうだね。もっと選手のこと信用しないと」
 反省する沙希の姿を見て聡史はにっこりと笑うと、明るい声に戻して、
「しかし、努力をしたら報われるってのは本当だったんだな」
と言った。
「うん、聡史君には根性で頑張れば報われるって事を教えられたね」
「俺がいなくなってもマネージャー頑張ってくれよ」
「うん!」

「…っていうことがあったの」
「そっか」
 話し終わると、沙希は目を瞑って昔のことを思い出しているようだった。
「で、虹野さんはその彼の事好きだったの?」
 博のその言葉に、沙希は首を横に振った。
「仲のいい幼馴染ではあったけど、だからかな。そういう風に聡史君のこと見たことなかったわ」
「でも、その聡史君、だっけ? 彼はそうは思ってなかったと思うな」
「そう、かな?」
「そうだよ」
 二人は更衣室の前まで来た。博が更衣室の中に入って言ったのを見送ってから、沙希は心の中で思った。
『私が好きなのは博君だけだよ』

終わり

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