虹色の想い出〜ときめきメモリアル虹野沙希編外伝〜

回想1〜1年目の体育祭、そして物語のはじまり〜

 沙希は自分の傍に聳え立つ「伝説の樹」を見上げ、ポツリと呟いた。
「あの時の彼、カッコ良かったな… あれからだよね、私が彼に惹かれていったのは…」

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 沙希にとって初めてのきらめき高校での体育祭…
 沙希はサッカー部のマネージャーということもあって、進んで保健委員の仕事をしていた。
 保健委員の仕事は、ケガをした人のちょっとした治療が主で、いつもはそれほど忙しい仕事ではないはずなのだが、なぜかこの年はケガや体調不良を理由に来る人が多かった。しかも決まって、「虹野さん、僕のこと見ていて下さい」と声をかけるのである。
 既に沙希が運動部のアイドルとして認められつつあるのだが、そんなことを知らない沙希は笑顔で男子生徒の相手をしながら、笑顔の裏に「何か根性ないな…」という想いも感じていた。

 グラウンドでは二人三脚が行われていた。きらめき高校では男子生徒と女子生徒がコンビを組み、呼吸を合わせてゴールを目指す競技として設定されてある。沙希はマネージャーの仕事が忙しいので男の子とつき合ったこともないし、まだ彼氏を作るのは早いなと思っていたのだが、肩を抱き寄せあって一緒にゴールを目指そうとしている2人の姿を見ていると、やはり年頃の女の子らしく、ちょっとうらやましく感じていた。

「あれ、男の子同士で二人三脚をやってる!」
 沙希は珍しそうな表情で、あるペアを見始めた。
「1人は早乙女くんだ。でももう一人は 誰だろう?」

 沙希の視線の向こうから、かすかに声が聞こえてきた。
「おい、呼人! お前、ペースが速いって!」
「好雄、お前がペース遅いんだよ!」
「そうは言ってもな…、うわっ!」

「うわっ!」
 沙希は思わず目を覆った。
「早乙女くん」がコケて動きが止まってしまった。

「イテテテ… おい好雄! お前早く起きろよ!」
「おお、悪い悪い。ちょっと待ってろよ、今起きるから。」

 何とか好雄と呼人は二人三脚をリスタートできた。
 でも…
「あれ? 彼、足を引きずっている。大丈夫かな…」
 沙希は気がついた。「彼」が足を傷めた事に。
「多分ここに来るんだろうな。ちゃんと治療してあげなくちゃ!」

 …でも「彼」はすぐには来なかった。
「彼、大丈夫かな? 結構変なひねり方をしたから、すごく痛いと思うんだけど…」
 沙希はそう思いながら、「彼」の姿を探した。
「彼、どこかな? あっ、いた。」
「彼」は自分の所属している1年A組の控え場所にいた。さっき一緒に走っていた好雄も一緒だ。
 そして…
「そうか、藤崎さんと一緒のクラスだったんだ…」
 傍には藤崎詩織がいて「彼」の話を聞き入っている。
 藤崎詩織。入学してから才色兼備の彼女の話は耳に入っていた。実際に彼女に交際を申し込んた男子生徒の数は、入学してたった2ヶ月くらいなのにもう2ケタに上っているようである。
 でも沙希は詩織が男の子と付き合っているという話を聞いた事がない。どうやら彼女は言い寄ってきたすべての男の子に交際を断っているようである。
 その詩織が「彼」の話を聞いて笑っている。
「藤崎さん、彼が好きなのかな?」
 ついそんな事を思ってしまう。
 でも沙希は詩織と話している「彼」の表情に苦痛の影を見て取る事ができた。
 その表情に詩織も好雄も気づいていないようである。

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 昼休みが過ぎ、クラス対抗リレーが近づいているその時、不意に「彼」が現れた。
「ゴメン、ちょっとお願いしていいかな?」
 唐突に声をかけられた沙希は、振り返ってビックリした表情を見せた。
「ど、どうしたんですか?」
 返事がちょっとどもってしまった。
「申し訳ないんだけど、足首をテーピングで固定して欲しいんだ」
「固定? それじゃ、やっぱり足を傷めていたの?」
「うん。」
「どうして、すぐにここに来なかったの?」
 思わず聞いてしまった。
「うん。本当は行かなきゃ、と思ったけど、詩織の目の前では行きにくかったんだ。」
「詩織?」
「うん、藤崎詩織。クラスメイトなんだ。」
「ふーん。」
 沙希は思わず、続けて、
「『詩織』と呼ぶくらいだから、もしかして藤崎さんと付き合っているの?」
 と聞いてしまった。
「うん!」
 「彼」が即答した。その答えに沙希はちょっとガッカリしていた。
 …でも、藤崎さんは誰とも付き合っていないはずじゃ…
「…と言いたいけどね。」
 「彼」はそう言うとちょっと苦笑いをした。
「詩織とは小さい時からの腐れ縁で、だから仲が良いように見えるけど、ただそれだけの関係なんだ。」
「そっか…」
 沙希はそう呟きながら、でも不謹慎な事にちょっと微笑んでしまった。
「…でも、 …あっ、そうだ!」
 話を続けようとした沙希は、不意にある事に気がついた。
「どうしたの?」
「わたし、ケガした人の記録をとっていなかった。ここに名前を書いてくれる?」
 沙希はそう言ってノートを差し出した。
「分かった」
 そう言って「彼」はノートに自分の名前を書いた。
「北見呼人くん、なんだ。」
「そうだよ、何かおかしいかな?」
「ううん、いい名前だね」
「ありがとう」
 呼人は照れながら答えた。
「どういたしまして。 …でも、北見くんは藤崎さんのこと、好きなんでしょう?」
「うん。小さい時から一緒にいるけど、詩織はもしかしたら『一番近くて遠い存在』なのかも知れないな、と思う事もあるんだ。詩織はいろんな意味ですごい人だから。でもだからこそ、詩織のことが好きだし、詩織に振り向いて欲しいな、と思っているんだ。」
「そっか…。変な事を聞いてゴメンね、北見くん。」
「ううん、ほら、こんなこと普段は言えないから、虹野さんにいろんな思いを聞いてもらえて嬉しかった。」
「私の名前、知っていたんだ。」
「そりゃ、『運動部のアイドル』だもん、部活に入っていなくても耳に入ってくるよ。でも虹野さんってやはり可愛いし、旦那さんになる人がうらやましいな。」
 呼人にそう言われて、思わず沙希は顔を赤くしていた。
「そんな… でも、お世辞でもそう言われると嬉しいな。」
「お世辞じゃないよ、俺はそう思っているよ。」
「ありがとう。はい、テーピング終わったよ。」
 沙希はちょっと明るくそう言うと、すぐに真剣な表情になって、
「でも、絶対無理しちゃダメだぞ。無理をするとさらにひどくなるから。」
 と呼人に釘を刺した。
「分かった。無理しないようにする。でも虹野さんにもお願いしたいんだけど、いいかな?」
「なに?」
「ここで足を固定したこと、誰にも喋らないで欲しいんだ。特に詩織には。」
「いいけど… どうして?」
「どうしても。約束してくれる?」
「うん、分かった。約束する。」
 そう言いながら、沙希の表情はなぜか曇っていた。

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 そして体育祭はクライマックスを迎えた。
 最後の競技・クラス対抗リレーである。
 クラス対抗リレーは女子4人とアンカーを除く男子3人が1人100m、アンカーは200mを走るリレーである。
 沙希はこの種目にE組の第1走者として出場する。特別足が速いわけではないけど、保健委員としてずっと本部に詰めていたので、せめて最後の種目だけは、と立候補したのである。
 召集がかかり、召集場所に行くと、沙希は我が目を疑った。
 A組の列に呼人がいたのだ。しかも列の並び方を見ると、どうやらアンカーらしい。
(そんな! あんなにひどいケガなのに、200mなんてムリだよ!)
 思わず叫びそうになって、でも声にできなかった。
(だって、多分北見くん、言ったって聞かないだろうから…)

 そしてリレーが始まった。
 第1ランナーはスタートからのバトルが大きな要素を持っている。その中で一人だけ異次元の速さでコーナーに突入した女の子がいた。G組の水泳部のホープ、清川望である。
 沙希は可もなく不可もないといった感じで、第2走者にバトンを渡した。その足で、A組の呼人のところに足を運んだ。
「北見くん、足、大丈夫なの?」
 沙希が小さい声で呼人に聞いた。
「ああ、大丈夫だよ。」
 呼人は微笑しながら答える。
「でも、ムリしちゃダメだよ。」
「分かってる。」
 呼人はそう言ってから、
「それじゃ出番だから…」
 といって立ち上がった。

 沙希はもはや声をかける事すらできなかった。
(…頑張ってね、ムリしないでね…)
 そう心の中で想うだけで精一杯だった。

 リレーは第7走者に入っていた。
 トップはE組、いつの間にかトップを走っている。しかしA組の藤崎詩織がE組の選手をパスしてトップに立った。
 詩織がテイクオーバーゾーンに入る。
 その5m先にいた呼人が弾かれたようにスタートする。
「呼人くん、はい!」
 そう言って後ろを振り返らない呼人の右手にバトンを差し出した。
「詩織、任せろ!」
 バトンを受け取った呼人が、後ろにいる詩織に向かってそう叫んだ、ように聞こえた。
 その叫びを聞いた詩織が、ふっと力を抜いてトラックの内側に入っていった。

 逃げる呼人、追うE組のアンカー。
 A組の選手もE組の選手も、自分のクラスのアンカーに熱い視線を送り、声を枯らして応援している。
 さっき走ったばかりの詩織も、今は呼人に声援を送っている。
 しかし沙希だけは違った。目は自分のクラスのアンカーでなく、呼人に視線を送っている。
 ムリをするな、と言った。それでも心配だった。
 バックストレッチを過ぎ、カーブに差しかかった時、沙希は呼人の異変に気がついた。
 いつも以上に苦痛の走った表情をしている。「魔法」が切れたようだ。
 カーブをクリアし、ゴールへのスレートに入った途端、呼人の走りが急に乱れ、失速した。もう誰が見ても、足首に故障を抱えているのが分かる、そんな走り方に変わっている。
 E組のアンカーが意外そうな表情で呼人を見ながら、アウトから追い抜いた。
「北見くん、頑張れ!」
 思わず沙希は叫んだ。E組の別の選手が、怪訝な表情で沙希を見た。
 そのままE組のアンカーがゴールした。呼人はとうとう左足を引きずり始めた。気がつくと3位のG組のアンカーが呼人に迫ってきている。
「北見くん、ラストだよ!」
 もう一度沙希は叫んだ。
 G組のアンカーが呼人を追い抜いたその直前、呼人はゴールテープを切った。そしてそのまま倒れ込み、足首を押さえはじめた。

「北見くん!」
「呼人くん!」
 呼人のもとに2人の女の子が駆け寄った。
「藤崎さん…」
「虹野さん? あれ、なんで虹野さんが?」
「北見くんから口止めされていたんですけど、じつは北見くん、二人三脚の時に足首をひねってしまったみたいで…」
「そうなんだ…」
「それよりも、とりあえず本部に運びましょう。」
 沙希はそう提案し、詩織と一緒に呼人を本部のテントに運んだ、
 本部のベッドに呼人を寝かしてから、詩織が口を開いた。
「それで虹野さんがテーピングしてくれたんだ…」
「うん。でも北見くんにはムリはしないように、と言ったんですけど…」
 詩織はその沙希の言葉を聞くと、ひと息ついてから、
「まったく、バカなんだから…」
と呟いた。
「えっ」
「呼人くんって、いつもこうなの。責任感が強いと言えばそうなんだけど、自分で何でも背負い込んで、結局他人に迷惑をかけてしまうの。」
「そうなんだ…」
「なんで私に相談してくれないんだろう。相談してくれたら、こんな事にならなかったのに…」
「好きだから、じゃないのかな?」
 沙希は思わずぽつりと呟いた。
「好きだから?」
「うん。男の子って、好きな女の子の前では弱いところは見せたくないと思うんじゃないかな?」
「そうか…」
 思わず詩織が納得した表情を見せた。
「でも私と呼人くんは…」
「分かってます。ただの幼馴染み、なんでしょう?」
「えっ?」
「だって北見くんが言ってましたよ。」

 沙希と詩織の会話を聞いていて、呼人は顔が赤くなっていた。
(な、なんて女って口が軽いんだろう…)
 呼人が詩織の事が好きだということも、まだ詩織に言っていなかったのに…
(でも、詩織は俺の事をどう思っているんだろう?)
 呼人はそれが聞きたかった。しかし…
「あっ、北見くん、気がついたみたい」
「えっ、…良かった。」
 呼人の視界に、沙希と詩織が現れた。
「北見くん、足の方は大丈夫なの?」
「やっぱり、ムリしたみたい…」
「もう、ひどくなっても知らないよ!」
 沙希がちょっと怒った感じでいうと、詩織も
「ホントだよ。虹野さんにも迷惑かけてるし。呼人くん、謝りなさい。」
 と言った。
「ゴメンなさい、虹野さん。」
 呼人が謝ると、沙希は怒った表情のまま、
「絶対に次は言う事を聞いてもらうからね。」
 と言ってから、ちょっとおどけて
「でも、一生懸命走ってる北見くんの姿、ちょっとカッコ良かったよ。」
 と付け加えた。
「本当に?」
「うん。…ところで、北見くんって、何か部活入っているの?」
「ううん、入りそびれちゃって、今のところはどこにも入っていないけど。」
「そうか。特に部活に入れない理由はないんだね?」
「ああ。」
「それじゃ、だけど…」
 沙希はそう言うと、背筋をピンと伸ばして、
「あなたには根性があるわ。ケガを直したらサッカー部に入って、一緒に国立競技場を目指しましょう!」
 と精一杯の気持ちを込めて呼人をサッカー部に誘った。
「えっ…、別にいいの?」
「もちろん!」
「それじゃ…、サッカー部に入部します。お願いします。」
 呼人の言葉に、沙希は心の中でガッツポーズをしながら、
「うん。北見くん、あなたをサッカー部は歓迎します。」
 と嬉しそうに呼人に言った。

 その傍らで、詩織は
「残念だな。一緒にバスケ部に入って、一緒にバスケ頑張りたかったな。」
と、ポツリと呟いた。
 その言葉は呼人には聞こえなかったようだが、沙希にははっきりと聞こえてきた。

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(もしかしたら、この時に運命が大きく変わったのかも知れないな。それまで彼は藤崎さんのことを追いかけていたのに、この瞬間から彼、何となく藤崎さんと距離を置くようになったように感じた…。そして、藤崎さんがこの頃からかな、何となく私との距離を置くようになったように感じた。最初はなぜなのか分からなかったけど、今なら藤崎さんの気持ちがよく分かる。藤崎さんも…)
 心の中でそう呟きながら、視線を伝説の樹の幹に移した。

「そう言えば、あんな事もあったな…」

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