虹色の想い出〜ときめきメモリアル虹野沙希編外伝〜

回想2〜2年目の春、「出会えて良かった」前編〜

 沙希の目の前には、伝説の樹の幹がある。沙希にはその幹ががっしりとして、それでいて暖かみのある存在に映っていた。
 その幹を見ながら沙希は、父親と、そして「彼」のことを思い浮かべていた。
「マネージャーとしては失格だよね、彼に思い入れしちゃうなんて… でもあの時から、彼の存在が大きくなっていったのに気がついた… それが、『好き』なんだよね…」

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 呼人がサッカー部に入部してからかなりの時間が経った。そして沙希も呼人も2年生になった。
 入部したての頃は、呼人はボールを蹴る事自体も上手くできない素人であった。しかし見る見るうちに上達して、同級生からも上級生からも頼れる存在になりつつあった。
 沙希も呼人の上達を心から喜んでいた。

 しかし…
 4月18日、金曜日
 5月4日に行われる練習試合に向けてのミーティングが行われた。

 この日から、進学を控え3年生の進学組が抜けるのに伴って、1年生を加えて新チームとして活動する。そして呼人のポジションであるFWでも1・2年生から1人をレギュラーにする事が決まっていた。
「大丈夫だよ、北見くんなら絶対にレギュラーになれるよ。」
 沙希はミーティングが始まる前、呼人にそう声をかけていた。
 しかし、コーチに指名されたのは、呼人ではなく、1年生の沢渡透であった。
「やったー! 沢渡くん、おめでとう!」
 沢渡に、1年生マネージャーの秋穂みのりが嬉しそうに声をかける。
 みのりは沙希にとっては可愛い後輩である。みのりの嬉しい気持ちは沙希にも充分に伝わってきた。
 しかし…

「残念だったね…」
 その日はそう声をかけるのが精一杯だった。

 翌日、沙希のところに好雄が来た。
「虹野さん、実は折り入ってお話があるんだけどさ…」
「なに、早乙女くん」
 いつものように笑顔で好雄に声をかける沙希。
「実はさ… 一緒にデートしない?」
「えっ、早乙女くんと?」
 沙希は話を聞いてビックリした。
「あっ、ゴメンなさい。私、そういうのは…」
 慌てた感じで沙希が答える。その途中で、好雄は沙希の言葉を遮って、
「と思った。でもさ、虹野さんにどうしてもデートして欲しくて。」
「えっ! どうして?」
「昨日の夜呼人が落ち込んでてさ、どうしたのか聞いたらレギュラー落ちたんだって?だから親友の俺としては、呼人に早く立ち直って欲しいなと思ってさ…」
 好雄の話を聞いて、沙希の心がかすかに揺らいだ。沙希は男の子を恋愛対象として好きになったことはないし、デートをしたこともなかった。でもその瞬間、何となく呼人のことを勇気づけてあげなければ、と思った。
「…北見くんも一緒に行くんだよね?」
「もちろん! というよりあいつのためのデートといってもいいかもな」
「そうか…」
 先はしばらく考えたあとで答えた。
「わかった。明日でいいのね。」
「やったー! じゃあさ、一応Wデートという形にしたいから、虹野さんの友達にも声をかけてくれる?」
「いいよ。じゃあ、如月さんに声をかけておくね」
「OK。よかった。明日が楽しみになってきた。じゃあ、チケットは如月さんには俺から渡すから、虹野さんには呼人から渡させる。宜しく!」
「わかった!」
 自然に沙希の声も明るくなった。
 沙希は「レギュラーに絶対になれるよ」と呼人に言ったのに実際になれなかったことで、知らず知らずのうちにちょっと落ち込んでいたようである。
(北見くんとデートか、どんなデートになるのかな…)
 ちょっとそう思って顔がほころぶ沙希であった。

 未緒からもOKを貰い、あとは呼人からチケットを貰うだけとなった。
 練習が始まる前、意を決したかのように呼人が近づいてきた。
「虹野さん、好雄から聞いたんだけど、明日Wデートに付き合ってくれるんだって?」
「うん、いいよ。どうせ明日は練習休みなんだし。」
「もしかして… 好雄からレギュラー落ちたこと聞いてる?」
「うん。」
「やっぱり… 好雄のヤツ…」
「早乙女くんだって、気をつかってくれてるんだよ。」
「そうかな…」
「そうだよ。ところでどこに行くの?」
「ディスティニーランド。これがチケットだよ。」
「ありがとう。で、お金はいくらなの?」
「いいよ…」
 呼人がそう言った瞬間、沙希はわずかに表情を曇らせた。
(北見くんも気をつかっている。私は北見くんを励ましてあげたいのに…)
 その気持ちが伝わったのか、呼人は少し首を振って、
「いや、ゴメンな。2000円なんだけど… いいかな?」
 と言ってきた。
「もちろん。じゃあ払うね。」
 沙希はそう言うと、財布から千円札2枚を取り出して呼人に渡した。
「でもいいの、虹野さん?」
 呼人がそう言うので、沙希は笑いながら、
「だって私は早乙女くんから、北見くんを励まして欲しいと言われているんだもん。北見くんはあまり気をつかわないで楽しんで欲しいから。」
 と答えた。
「わかった。じゃあ明日は楽しませてもらうよ。」
「うん、その調子!」
 沙希がそう言っていると、遠くからみのりの声が聞こえてきた。
「虹野先ぱ〜い!」
 走りながらみのりが沙希のところにやってきた。
「先輩、あのですね…」
 みのりが来ると沙希はちょっと苦笑いの表情を浮かべた。みのりは沙希に結構何かと話を聞いてきて可愛い妹のように感じているのだが、いかんせんみのりが呼人を嫌っている節が見受けられるので、みのりが来ると沙希は呼人とまともに話ができなくなるのである。
(それじゃ、明日楽しみにしているね。)
 心の中で呼人にそうつぶやきながら、沙希はみのりとの会話を始めた。

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 4月20日、日曜日。
「こんにちは、未緒ちゃん」
 沙希は待ち合わせ場所にしていたディスティニーランドの入口の前で、既に来ていた未緒に向かって声をかけた。
「こんにちは、沙希ちゃん、今日は暑くなりそうですね」
「うん …あ、でも未緒ちゃんは苦手なんだよね、暑いの」
「はい… でも大丈夫です。」
「おーい、虹野さーん!」
 遠くから沙希を呼ぶ声が聞こえてきた。
「北見くーん、おはよう!」
 呼人が息せき切らしながらやってきた。
「おはよう、虹野さん、如月さん」
「おはようございます、北見くん。沙希ちゃんからいろいろと聞いています。」
「まいったな… それにしても、好雄は?」
「まだだけど?」
「私もまだ見ておりませんね…」
「またあいつ、寝坊か? デートだというのに…」
 十数分して好雄がやってきた。好雄は遅れた言い訳をしている。どうやらお年寄りを介抱をしたり産気づいた女の方を病院に連れていったりしていたらしい…。…でもそんな言い訳信じる人はいるの? あっけに取られる呼人を見ながら、沙希もそう思った。
「それは素敵ですね。」
(えっ、未緒ちゃん… まさか早乙女くんのあの言い訳を信じちゃうの?)
 もう一度ビックリした沙希であった。

(まず遊園地といったらジェットコースターでしょう!)
 呼人に誘われ、一緒にジェットコースターに乗った。
(やっぱり気分爽快! 嫌なことがあると、これに乗るとスッキリする!)
 でも隣の呼人はなぜか気分が悪そうである。
(もしかしてジェットコースター嫌いだったのかな? でも北見くんもジェットコー
スター好きだって言ってたし… 私に調子合わせてたのかな?)
 ちょっと気が滅入った。その後ろから好雄が呼人にに声をかけてきた。
「呼人、まさか気分悪くなったのか? お前な〜、ジュースをあれだけ飲んで、その上にバーガーセットを時間がないからってのどに詰まらせるくらい急いで食ったらこういう目になるって分かるだろうが!」
 どうもそういう理由らしい。沙希はちょっと罪悪感を感じていた。呼人のリクエストのままに、走り回って買いに行ってたのが沙希だからだ。
「ちょっとトイレに行ってくる…」
「おう、行ってこい! そしてしっかり気分をスッキリさせてこい!」

 それから30分以上経った。
 呼人はまだ帰ってくる気配すらない。
(どうしちゃったんだろう… まだ北見くん、気分が悪いのが治まらないのかな?)
「遅いな、呼人の野郎! …虹野さん、如月さん、ちょっと呼びに行ってくるわ!」
 沙希たちの気持ちを察したか、好雄が呼人を探しに駆けて行った。
 その数分後、2人は戻ってきた。なぜか好雄は怒っており、その好雄を呼人がなだめているように感じた。
「早乙女君、どうしたの?」
 沙希が声をかけると、好雄が珍しく怒りながら、
「聞いてよ、虹野さん、如月さん。こいつったらデートの最中だってのに…」
「好雄、やめてくれ! そういうんじゃないって!」
「うるせぇ! 女の子と話をしてたのがナンパじゃないと言うのか、お前は!」
「えっ!?」
 沙希は目の前が真っ暗になりそうになった。まさか…
「だから違うってば!」
 妙に呼人が突っかかっている。
「それじゃ、理由を説明してくれませんか? 私たちは北見さんのことを心配していたんですから…」
 未緒が静かにそう口を出した。ちょっと怒っているように感じるけど、その中に理知的なものも感じる。
「ゴメンなさい、実はこういうことだったんだ…」
 呼人が未緒の言葉を受けて、トイレに向かってからの話をし始めた。

 トイレの場所が分からずに女の子にトイレの場所を聞いたこと。
 トイレから出たあと、その女の子が友達とはぐれて迷子になったと訴えてきたこと。
 入口のところで彼女の友達が来るのを待ちながらいろんな話をしたこと。
 彼女の友達が来て別れたところで好雄が来てからかわれたこと…

「それで『女の子の電話番号なんて聞いてない』といったら、好雄のヤツ、分かった、このことを虹野さんと如月さんにばらしてやる! って…」
「早乙女くんは、じゃあ、それで怒っていたの?」
「ま、まあな…」
(それじゃ早乙女くんだって同じじゃない。私たちとデートしているんだから…)
 沙希はそう思った。女の子の心配をしている分、呼人の方がまだ立派じゃないだろうか?
「ゴメンなさい… 虹野さんや如月さんには心配をかけたわけだから、謝らないと。」
「しょうがないな…」
 沙希はそう言ってから、
「でもこれからは、私たちに心配かけちゃダメだぞ!」
 とちょっと怒ったような声で呼人に釘を刺した。
「分かりました。虹野さん」
「分かってくれればよろしい!」
 そのやり取りを聞いていた未緒がちょっと吹き出した。
 それにつられて沙希も呼人も好雄も笑いはじめた。

 次に行ったのはお化け屋敷であった。
 沙希はここはあまり好きではない。暗いところでの恐怖体験はストレスにこそなれ、ストレス発散にはならないと沙希は感じている。
 早速他のみんなとはぐれてしまう。そうなると沙希は怖くて立ち止まりがちになってしまう。
 ありったけの勇気を振り絞って何とか歩みをすすめるが、さすがに限界近くなってきた。
「誰かいるの?」
 沙希に声をかけてきた男がいた。沙希は恐怖のあまり肩をすくめてしまう。でもどこかで聞いたような気のする声だった…、
「あ、虹野さん?」
 呼人の声だった。
「あ、北見くん? …良かった。」
 沙希は相手が分かると、やっと安心できるといった感じでホッとため息をついた。
「それじゃ、一緒に行こうか?」
「いいよ。でも、…またはぐれたら怖いな…」
 沙希は思わず本音を吐いた。もちろんこの先の展開を期待しての発言ではない。
「わかった。 …それじゃ手をつなごうよ。」
「えっ!」
 沙希はビックリした。
「どうしたの? 俺と手をつなぐのはイヤ、なのかな?」
 心配した呼人が沙希に聞いた。
「あ、そういうわけじゃないの。いきなりだったからビックリしちゃって… ありがとうね」
 沙希はそう答えると、呼人の傍に左手を差し出した。
 呼人は右手で沙希の左手を握った。
(温かい手… やっぱり北見くんらしいな)
 呼人の手の感触に、不謹慎にも沙希はそう思ってしまった。何だか前を歩く呼人も、ちょっと緊張しているようにも見える。
(北見くんも私のこと意識してるのかな…)
 そう思いながら、二人一緒に出口へと進んでいった。

「どうだった、今日のデートは?」
 沙希はそう呼人に聞いた。
 ここは観覧車のゴンドラの中。好雄の計らいで、2人ずつゴンドラに乗った。もちろん好雄は未緒と次のゴンドラに乗っている。
「もちろん楽しかったよ。さっきは虹野さんと手をつなげたし…」
 ちょっと顔を赤くしながら呼人が答える。
 いつもはそんな顔をしない。いつも一生懸命に練習に取り組んでいるから。でも何となく恥じらいながら今日のデートの感想を語る彼も可愛いと思う沙希だった。
「そう、良かった。」
「やっぱり、虹野さんも気にしていたんだ。俺がレギュラーになれなかったこと。」
「うん。 …だって私、本当に北見くんがレギュラーになれるって信じてたから。」
「ありがとう。 …でももう大丈夫。これからだってレギュラーになれるチャンスはあるだろうし、レギュラーになるまで頑張ってみる。」
「そう、その調子だよ。」
 沙希は明るくそう答えた。
(良かった、今日デートした甲斐があったな)
 沙希はそんな気持ちで、呼人と、ゴンドラの外に広がるきらめきの街並みを眺めていた。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

 4月22日、火曜日。
 この日沙希は、部活を休むことに決めていた。
 いつも行っているスポーツ用品店でバーゲンが行われるというので、悩んだ末に沙希はバーゲンでサッカー部に必要な備品を揃えようと決断したのであった。
 コーチにはその旨を話して休みを貰い、念のために親友の未緒にも「今日は練習に出ない」と言って、授業が終わると同時に学校を飛び出していった。
 それがのちのち大騒動の種になるとも知らずに…

 バーゲンで備品などを買った帰り道、自転車で神社のそばを通りかかった時、ふいにボールを蹴る音が聞こえてきた。
(あれ、誰かな?)
 沙希はそう思って自転車を降り、音のする方に近づいていった、
 神社の境内で、呼人がシュート練習をしているのが目に入ってきた。まだ呼人はこちらに気づいていないようである。
 沙希はゆっくりと自転車を押しながら境内に入ってきた。
 呼人が休みを取ろうと、ベンチを振り向いた。その表情が急に驚きに包まれた。
「北見くん、練習してたんだ」
「虹野さん…」
 驚いた表情のまま、呼人はその場に立ちすくんでいた。
「はい、タオル。そのままじゃ、身体冷えちゃうよ。」
 沙希は自転車を停めると、ベンチに置いてあったタオルを手にして、呼人に渡した。
「あ、ありがとう…」
「休憩取るんでしょう? ベンチに座りましょう。」
「うん…」
 言われるままに呼人はベンチに腰をおろした。沙希もその隣に座る。
「虹野さん、今帰りなの?」
「うん、今日スポーツ屋で備品を買って、自転車で帰る途中だったの。そうしたら、ここでボールを蹴る音が聞こえてきたから、誰だろうと思ってのぞいてみたの。」
「そうなんだ…」
「北見くん、毎日ここで練習をしてたんだ…」
 沙希は境内を見渡しながら呼人に聞いた。
 境内は林が生い茂っていて静かな雰囲気なのだが、良く見てみるとそこにバレーのネットがかけてあったり、工事のコーンや昔のバス停、あるいは捨てられた冷蔵庫などがいくつか置いてある。バレーのネットは良く見てみるとところどころ切れかかっており、これをつけたのが最近のことではないように感じた。
「嫌なところ、見られちゃったな…」
「どうして?」
「だって… 恥ずかしいよ…」
「別に恥ずかしくないよ。どうして?」
「下手だから。だって、あれだけ一生懸命練習してたのに、レギュラーに選ばれなくて…」
「そんなこと…」
「俺、これでも運動神経は自信があったつもりなんだ。スポーツはなんでも得意だったし…」
「そうだったんだ…」
「でもそれが通用したのは中学の時までだったんだな、って。1年の時誠がレギュラーに選ばれた時…」
「誠って… 横山くんのこと?」
「うん、あいつとは中学の同級生で、一緒にいろんなことをしてた友達なんだけど、その時に、誠が選ばれたのに俺はなんで選ばれないんだろう、なんか俺って大したことないんじゃないかって…」
「仕方がないよ。横山くんは小学生の時からサッカーやってたんだし、あなたはサッカー始めたばかりだったし…」
「だからなんとか誠に追いつこうと必死に頑張って、部活も一生懸命やっていたし、ここでも練習してたし…」
「そうだよね。北見くん、いつも一生懸命頑張っていたよ。」
「でも誠に追いつけなかった。それどころか1年生にレギュラー取られちゃって…。なんか自分には才能がないんじゃないかな、そう思うようになったんだ…」
「そんなこと…」
 沙希はそこで言葉を詰まらせた。自分でも気づかないうちに、涙を流しはじめている。
「でも… でも、悔しいんだけど… サッカーを辞められない自分がいる。サッカーが好きなんだと思える自分がいる。だからこうして…」
 呼人はそこまで喋って、ふいに沙希の目から涙を流していることに気づいた。
「あれ、虹野さん、どうしちゃったの? なんで泣いてるの?」
 沙希はちょっと涙を拭いてから、
「ううん、大丈夫。でもその気持ち、分かる」
 そう答えた。
「…あ〜あ、こんなこと、誰にも話したことなかったのにな…」
「ふふふ、聞ぃ〜ちゃった!」
 いたずらっぽく沙希がちょっと泣き笑いの表情を浮かべながら言った。
「でもやっぱり虹野さん、このことは内緒にして欲しいんだ。…やっぱり恥ずかしいから。」
 穏やかな表情で呼人が言った。
「うん、分かった。約束する。だから、私の約束も聞いてくれる?」
「なに?」
「レギュラーになるまで、絶対に頑張るって。今からだって遅くはないよ、追いつける。」
「…うん。」
「約束、だよ。」
「分かった。」
「それじゃ、指切りしよう。」
「えっ!?」
「ほら、指出して!」
 そう言うと沙希は呼人の前に小指を立てて差し出した。呼人も沙希の小指に自分の小指を絡ませる。

ゆ〜びきりげんまん、嘘ついたら針千本の〜ます。指切った!

「約束だよ。あなたになら絶対できるよ」
 そう言って沙希は呼人の小指から自分の小指を離した。
「うん、分かった」
 呼人のその言葉に、沙希はちょっと嬉しそうな表情になった。

 呼人の練習を見て家に帰った時、ちょうど電話のベルが鳴った。
 沙希が受話器を取ると、聞きなれた声が沙希の耳に飛び込んできた。
「もしもし、虹野さんのお宅ですか? こちらは北見と申しますが…」
「あ、北見くん? 私、沙希です。」
「虹野さん。帰ってきたところなの?」
「うん、今ちょうどね。どうしたの?」
「今日さ、実はとんでもないことになってたんだ。」
「うん? どうしたの?」
「それがさ、虹野さんがサッカー部辞めちゃうという噂を聞いて、俺もみのりちゃんもすごい慌ててたんだ。」
「ふーん… えっ、私がサッカー部を辞める!?」
 意外な北見の言葉に、沙希は思わず後ろに倒れそうなほどに驚いた。
「誰がそんなことを?」
「好雄。如月さんが『沙希ちゃんが今日部活に出るのをやめる』と言ったのを『今日限りで部活を辞める』という風に勘違いして俺に伝えて、で好雄が優美ちゃんにも伝えたもんだから、 優美ちゃんから聞いたみのりちゃんもパニックになって…」
「優美ちゃんって、早乙女くんの妹さんの?」
「そう。さっき好雄に電話しようとしたら優美ちゃんが出て、好雄から聞いてみのりちゃんに伝えたと言ってたから」
「そうなんだ。で、その噂はどうなったの?」
「その噂は俺は如月さんに、みのりちゃんはコーチに聞いて確認したから、もう大丈夫だよ」
「そう、良かった…」
 沙希は胸をなで下ろした。
「わたし、何があってもサッカー部辞めないよ。」
「そうだよね」
 電話の向こうで呼人がホッとため息をついたのが聞き取れた。
 そしてそれからしばらく、呼人と電話でよもやま話をして楽しんだ。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

「でもあの時はおかしかったな…。なんか、彼とみのりちゃんの慌てている様子、見てみたかったな…」
 ちょっと苦笑しながら、伝説の樹の幹に手を当てる沙希。
「約束、か…」
 手を幹に当てたまま、沙希は下を向いた。
「あの後、あの時以上に非常に大変なことが起こったんだよね。でもあのことがあって、私たちの絆がもっと強くなったのを感じた…」
 そう呟いてから、ちょっとひと呼吸した。
「でもあの時は、本当に辛かったな…」

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