虹色の想い出〜ときめきメモリアル虹野沙希編外伝〜

回想3〜2年目の春、「出会えて良かった」後編〜

 沙希は伝説の樹の幹に手を当てたまま、下を向いていた。
「私はそんな事を言った憶えはなかった。彼に嫌な事を言った憶えも、約束を破った記憶もなかった。でもあの時、私が言った何気ない言葉で彼が傷ついた…。それがすべてだった…」

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

 沙希が呼人の夜間練習につきあうようになってから、少しずつだけど確実に沙希と呼人の距離は近づいていった。
 本当は2人分しか作っていないんだけど、「たくさん作り過ぎちゃったから」とお弁当を呼人に渡した事もあった。練習中に呼人にボールがぶつかって、恥ずかしいけど呼人を膝枕してあげた事もあった。
 休日も街でショッピングしたり映画を見たりして楽しんだし、また伊集院家の私設スポーツセンターではバッティングや水泳を楽しんだ。ちょっと恥ずかしかったけど、ウェディングドレスを着たり、水着を着たりして呼人に見せたりもした。
 そして夜も弁当を作って神社で練習をしている呼人に差し入れををしてあげたりもした。
 どれもこれも素敵な想い出である。
 しかしそれも長くは続かなかった…。

 5月2日、金曜日。
 練習試合が間近に迫っているという事もあって、沙希は数日前からある準備をしていた。
 もちろんサッカー部の練習が終わった後、呼人が毎日神社で練習をするので、弁当を作って応援しに行って、そして帰ってきたあとに取りかかっている。
 最近みのりと話をした時に、「今度の練習試合でみんなに何かあげられないかな」という話になって、それで早速取りかかっていた。
 でも沙希だって万能なわけではない。沙希にとっては、お料理は誰もが認める腕前を誇っているものの、だからといって家事全般が全部きっちりできるわけではない。
特に衣服関係の作業についてはどちらかというと苦手意識を持っていた。

「みのりちゃん、ちょっといいかな?」
 沙希はみのりのクラスに顔を出すと、みのりに声をかけて呼び出した。
「はい、虹野先輩! どうかしましたか?」
 みのりが嬉しそうに沙希に近づいてきた。
「ここではあまり話しにくいから、階段のところでお話ししない?」
「いいですよ。」
 みのりはそう言うと、沙希と一緒に階段のところまで歩いていった。

「どうしたんですか、虹野先輩?」
 沙希から呼ばれて嬉しそう、といった表情で、みのりが声をかけた。
「実はね、私、最近ミサンガを作りはじめたんだ。」
「えっ、ミサンガを作っていたんですか?」
「うん、私、縫いものとかはあまり得意じゃないから。早く始めないとと思って、部活終わってからずっと始めてたの。」
「へぇ、部活終わってからそんなことしてたんですね。」
「うん、それで結構遅くまで頑張ってるんだけど…」
「そうなんだ…。それで?」
 そこに呼人が立っていた事は沙希もみのりも気づかなかった。沙希が話を続ける。
「でも、なかなか上手くならないみたいなの。才能ないのかな?」
 沙希がそう言った直後、階段の上の方から「カツン」と音が聞こえてきた。
 その音に沙希とみのりが振り返る。
 階段には呼人が呆然と言った表情で立ちすくんでいた。
「お、オッホン! それじゃ虹野先輩、また部活で…」
 みのりがそう言ってその場を離れた。
 沙希は階段を駆け上がって、呼人に
「どうしたの?」
 と声をかけた。しかし呼人から反応が帰ってこない。
「北見くん?」
 もう一度声をかける。しかしその声にも反応しない。
「おーい、北見くーん!」
 大声で沙希は呼人に声をかけた。呼人もさすがにそれには気がついたが、沙希の顔を見ると慌てて、
「ゴメン」
 と言ってその場を去っていった。
「変な北見くん…」
 沙希は呼人の後ろ姿を見ながらそう思った。

 しかし話はそこで終わらなかった。
 部活が始まったが、呼人の姿がそこになかった。
(あれ、どうしたんだろう、北見くん。さっき階段のところで会ったけど…)
 しばらくして呼人が来て、コーチに怒られた。
(いつもの北見くんじゃない)
 沙希はそう思った。
 そしてレギュラー練習が始まった。
 いつものようにレギュラーが練習しているのを、呼人は見つめていた。
 しかしその目はいつものように輝きにあふれたものでなく、珍しく焦点の定まらないような目つきであった。本来しなければいけないボール拾いも、全くやっていない。
 何か考え事をしているのだろうな、そう沙希は思った。だけど、練習中に集中力を切らした態度をとっていたらコーチに怒られるな、とも思った。コーチはレギュラーしか見ていないわけではなく、その他の部員の様子も何気なく掌握している人だと、1年間一緒に見ていて気づいていた。
 果たしてコーチから「なにやってるんだ、お前!」と呼人に厳しく声がかかった。
「しっかり見てろ! お前、試合に出たくはないのか?」
 コーチの檄が聞こえたあと、呼人が何かぼそっと答えたような気がした。
「そう思ってるんなら、さっさと辞めてしまえ!」
(えっ、どういうこと?)
 沙希はビックリしてコーチと呼人の方を見た。呼人はコーチにやはりぼそっと喋ったあと、そのまま部室の方に戻っていった?
(一体どうしたの? 身体の調子が悪くなったのかな? また夜も来るだろうから、その時に聞いてみよう)

 そして夜、沙希はいつもの通りお弁当を持って神社に行ってみた。
 今日の事は何か体調が悪かったんだろう、そう思っていた。いや、そう思いたかった。
 沙希にはどうも嫌な予感がした。 まさか、とは思うけど…
 しばらくして呼人が来た。でも何かおかしい。体調が悪い感じにも思えないし、むしろ気が滅入っているような感じであった。
 沙希が何度か声をかけても、帰ってくるのは生返事だけだった。
 しばらくして、呼人が口を開いた…

「帰るよ…」
「大丈夫? どこか、具合悪いの?」
「…、別に…」
「本当に?」
 しばらく静寂が続いた。

 その静寂を壊すかのように沙希が言葉を続けた。
「あさって、対抗試合だね…。 明日部活はないし、一日中練習ができるよね…。私も、明日は朝から時間があるから、ゆっくり時間をかけて差し入れを作ってくるね。」
 その沙希の言葉に、呼人は黙ったままだった。
「練習、するよね?」

「いや、やめておくよ…」
「何か、用事があるの?」
「別に…」
「じゃあ、どうして?」

俺、もうここに来ないから… 部活も… サッカー部も辞めようと思う…

「えっ…」
 沙希にとって、その言葉は思ってもみない言葉だった。その言葉がさす意味を理解するまでの間、身体が凍りついたような感覚になった。
「ゴメン、帰る…」
 呼人がそう言って沙希に背を向ける。ようやく事態を理解した沙希は慌てて呼人の前に立ちふさがると、
「ねぇ、どうしたの? …ねぇ?」
 と普段の沙希には想像ができないような厳しい表情で、呼人に詰め寄った。
「ゴメン…」

ねぇ、指切りしたじゃない! レギュラーになるまで頑張るって、約束したじゃない!

 恐らく呼人だけでなく、誰にも見せたことのないような厳しい剣幕だったのかも知れない。呼人が押し黙ったまま沙希を見つめている。
 沙希はいつの間にか涙を流しはじめていた。その涙を拭わないまま、
「ねぇ…、指切りしよ…。明日も頑張って練習するって…、約束しよ…。ねっ」
 といって無理やり自分の小指と呼人の小指を絡ませた。

ゆーびきりげんまん… ウソついたら… 針千本のーます… 指切った…

「約束、だよ…」
「虹野さん…」
 呼人の次の言葉を封じるように、沙希は続けて、
「私、明日もお弁当作ってくるから… あなたは頑張って練習に来てくれるって、信じているから…」
と言った。
「じゃあ、ね」
 沙希はそう言ってから、呼人の返事を聞かずに神社から走り去った。
 これ以上あの場所にいる事ができなかった。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

 家に帰った沙希は、これからすることも忘れて呆然としていた。
 とにかく自分でも何がどうなっているか分からなかった。
 分かっていることは、コーチに無気力なところを見せてそのまま部活を早退したこと、そして夜に呼人がサッカー部を辞め、ここでの練習も終わりにすると言ったこと、それだけである。そしてその理由になりそうなことはたった1つ、階段でしたみのりとの会話、それしか考えられない。
 でも、みのりとの会話で自分が呼人をなじったことなど1つもない。ましてやみのりはどうも呼人を嫌っている節があるので、あの時に呼人の話は出していない。
 じゃあ、なぜ?
 一人で考えていても解決するわけでもない、そう思った沙希は、親友の未緒に電話をかけた。

「はい、如月ですけど…」
 相変わらず落ち着いた感じの声が聞こえてくる。
「もしもし、未緒ちゃん?」
「はい、あっ、沙希ちゃんですね。どうかしたんですか?」
「実はね…」
 そう言って、沙希は今日の事を切り出した。そしてそうなった事がどうしてか、自分には分からない、と正直に答えた。
「北見くんがサッカー部を辞めるんですか?そんな、何かの間違いじゃないんですか?」
「ううん、北見くん、確かにそう言った…」
「そんな感じには見えませんでしたよ、今日会った時には…」
「今日、北見くんに会ったの?」
「はい。北見くんに貸していた本を返してもらいたかったので、今日北見くんに会ったんです」
「その時、彼、どんな感じだった?」
 沙希は藁にもすがる思いで未緒に聞いた。
「いつも通りでしたよ。それで私も、『夜の練習、一生懸命頑張っているんですね』と声をかけて…」
「えっ!」
「…沙希ちゃん、どうかなさいましたか?」
 沙希は受話器を握りしめたまま、今の未緒の言葉を思い返していた。
 確かあの練習は自分と呼人の2人だけの『秘密』だったはず… でも何で未緒が?
「未緒ちゃん、なんで北見くんが夜神社で練習してるのが分かったの?」
 もしかしたら未緒のその発言で、沙希が未緒に夜の練習の事を話してしまった、と呼人が勘違いしてしまったのかも知れない。その想いが沙希の厳しくなった口調に現れていた。
 未緒もその雰囲気に気がついたようであった。
「…沙希ちゃんも知っているかと思うんだけど、あの神社はうちの近くにあるんです。それで昨年の夏くらいから木にバレーのネットをくくりつけて、サッカーの練習をしている人がいるのに気がついたんです。その時には私と同じきらめきの生徒だと気がつかなかったので、あまり気にも留めなかったのですが、沙希ちゃんや早乙女君とのダブルデートであの人が北見くんだったんだと気がついて…」
「そうだったんだ…」
 沙希はやっと突破口を見つけた思いがした。
「ありがとう、未緒ちゃん」
 沙希はそう言って電話を切った。

 引き続きみのりに電話をかける。
 誤解がきっかけなら、自分とみのりとの会話の中にもその要素があったかも知れない。そう直感していた。
「もしもし、秋穂ですけど…」
「あっ、みのりちゃん、今日の昼のお話なんだけど、みのりちゃん覚えてる?」
「はい、もちろんです!」
「どんな話だった?」
「ミサンガのお話です。虹野先輩が部活終わってから夜遅くまで編み物をしていて、でも上手くならないとぼやいていましたよ。」
「ありがとう」
 沙希がそう礼を言うと、みのりは引き続き今日の部活動の事についても話しはじめた。
「そう言えば、今日北見先輩が途中で帰った事なんですけど…」
「えっ、それはどういう事だったの?」
 沙希の関心事はまさしくそこであった。
「実は私、あの時にコーチのそばにいたんですけど、北見先輩、コーチに怒られた時に『自分は才能がない』と言ってたんです」
「自分に才能がない?」
「はい。でも私、最近はそんな感じに見えなかったので、えっ、とビックリしたんです。」
「みのりちゃん?」
 意外な感じがした。みのりは確か呼人を嫌っていたはずでは?
「虹野先輩が早く帰るようになってから、私、北見先輩とボール磨きするようになったんです。その時に気がついたんです。北見先輩って、要領悪いかなという気がするけど、決して嫌な先輩じゃないって。それに陰で練習してるみたいし、練習中いつでも一生懸命だし。そんな先輩が『才能がない』という理由でサッカーを辞めるなんて、おかしいと思ったんです」
「みのりちゃん…」
「もしかしたら、虹野先輩が言った『才能がない』という言葉を、何か勘違いして北見先輩が自分のことと捉えてしまったかも知れないと思ったんです」
「まさか…」
 沙希はその時の会話を思い出してみた。
 会話では自分がミサンガを作っている事を話していた。しかし、後半は呼人の才能の話と捕えられてもおかしくなかった感じもする。
 どうやら話がつながった感じがした。自分が陰で努力している事を喋らないように約束しながら、未緒に話し、なおかつみのりに才能がないと漏らしていたとしたら、呼人でなくても裏切られたと思うに違いない。
 仮にそれが自分がそのつもりでなかったとしても…
「ありがとう、みのりちゃん」
 沙希はそういって電話を切った。
 やっと話が見えた。呼人は勘違いで自分に才能がないと思い込んで、そしてサッカーを辞めようとしていたのだ。その誤解を解ければサッカーを続けてくれるかも知れない。
 だけど沙希は呼人に電話をして誤解を解こうとは思っていなかった。恐らく電話をしても、呼人は多分聞いてくれないだろうと思ったのだ。ましてやその一因に自分がいるのだから。
 なら自分にできる事をしよう。それが呼人に対するせめてもの償いであると沙希は考えた。

 5月3日、憲法記念日。
 今日は翌日に練習試合が迫っているのに、サッカー部はなぜか休みである。
 沙希は今日は朝早くに家を出ると、電車で隣町のひびきのに向かった。

 ひびきの駅に着くと、まずどこに行ったらいいのか迷ってしまった。
 沙希にはひびきのは初めての町なのである。
 駅前広場に出ると、目の前で荷物をころがしてしまう女の子と出会った。
 年は自分と同じくらい、背はちょっと低いくらいだろうか。
「拾ってあげる」
 そう言って沙希が拾いはじめると、女の子のそばにいた背の高い女性も女の子が落としたものを拾い上げ始めた。
 おかっぱ頭の女の子が拾い上げた荷物を再び持つと、笑顔で、
「八重さん、ゴメンね」
 と背の高い女性に声をかけた。
 「八重さん」と呼ばれた女性は苦笑いをしながら「気にしないで」とぶっきらぼうに言う。
「それと、あなたもありがとうございます。お礼が言いたいのでお名前を教えてくれませんか?」
 おかっぱ頭の女の子が、沙希にも笑顔で声をかけた。
「あっ、私は虹野沙希。隣のきらめき高校の2年生です。」
「虹野さん、か。結構いい名前ですね。私は佐倉楓子。この町にあるひびきの高校の2年生です。で彼女は…」
 楓子は背の高い女性を手のひらで示しながら、
「八重花桜梨さん。私の友達で、同じくひびきの高校の2年生です。」
「こんにちは」
 花桜梨が挨拶をした。
「こんにちは。あの、お二人に聞きたい事があるんですけど…」
「何?」
 花桜梨が怪訝そうな表情で聞いた。
「この近くにスポーツ用品店ってどこにあるか知ってますか? 私この町は初めてだから…」
「うん、知ってるよ。私野球部のマネージャーだから」
 楓子が言うと、花桜梨も、
「私も知ってる。結構安いところだよ」
 と言った。どうも2人の言っている店は違うようなので、まず花桜梨の言う店に行ってみる事にした。
 花桜梨の勧めた店はそれほど大きい店ではなかったが、確かにきらめきの店より安いなと思った。
 そして目指す商品は、果たしてそこにあった。
「ありがとう、八重さん」
 沙希は嬉しそうに花桜梨に言うと、商品を買って外に出た。

 その後喫茶店で沙希のおごりで花桜梨や楓子と話をしてから、きらめきに戻った。
(結構いい感じの人だったな…)
 花桜梨と楓子について、沙希はそう感じた。
 花桜梨はあまり自分を見せる事はなかったが、もしかしたら何か大変な悩みを抱えているのかも知れない。花桜梨がトイレに立った時に楓子もその事は気づいているけど、あえてその話を聞く事はしないと言っていた。
「本当に友達と認めてくれた時に、多分八重さんが自分から話してくれると思う」
 楓子はそう言っていた。
 恐らく呼人もそうなってくれると思う。自分から呼人にアクションをかけるのは、かえって呼人の心を閉じさせてしまう気がした。
 自分ができる事は、呼人が来ると信じて待つこと…。

 沙希は神社で、呼人が来るのを待つ事にした。
 何回か近くの公衆電話から、呼人の家に電話をかけた。しかしいつかけても留守番電話のままだった。
 どこかに出かけているのだろうか?
 そのうち雨が降ってきた。この季節にしては冷たい雨である。
 沙希の身体に悪寒が走った。もしかしたら風邪をひいたのかも知れない。
 でも呼人はここに来ると約束した。だから、私も待ってなくてはいけない。
 その想いだけが、倒れそうになっていた沙希の身体を支えていた。
 いつしか夜の帳がおりていた。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

「虹野さん!」
 沙希がそろそろ危ないかな、そう思った頃、呼人の声が聞こえてきた。
 沙希はやっとの思いで、
「やっと来た…」と呟く。
「えっ!?」呼人がこちらを振り向いた。
「何やってたんだ? …遅いぞ」
 そう言うと、呼人が来てホッとしたのだろう、もはや立っている余力すらないかのように崩れるように倒れた。右手に持っていた銀の紙袋も手から落ちてしまった。
 呼人が慌てて、雨で濡れた地面に倒れる前に沙希の身体を抱きかかえた。

 気がつけば、見慣れた光景が沙希の目に映った。
 どうやらあの後、呼人が虹野家に運んでくれたようである。
「大丈夫?」
「あ…、そっか…、私倒れたんだ…。ゴメンね、迷惑かけて…」
「そんな… 俺が待たせるようなことさせたから…」
 呼人がそう言って謝る。
「ううん、私が勝手に待ってただけだから…」
 先は慌てて、そう言って呼人を制した。
「身体の具合はどう?」
「うん、もう大丈夫。明日の練習試合には行けると思う」
「でも無理しちゃダメだよ」
「うん、分かってる。でも、明日の試合、休むわけにはいかないから…」
 そしてしばらく静寂が訪れた。

「そう言えば俺、虹野さんに留守電したんだけど、聞いた?」
 静寂を破ったのは呼人だった。
「ううん、私朝から買い物に出かけたから…」
 そう言って沙希は慌ててまわりを見渡した。
「あ、私、紙袋を…」
「一緒に持っていた銀の紙袋? それなら虹野さんベッドの横にあるよ」
「良かった… それ、あなたに受け取って欲しいの」
「えっ、俺に?」
「うん」
 呼人が紙袋を開けると、靴の箱が入っていた。その箱を開けると…
「ストライカーズマックスじゃないか? 一体どうして?」
 ビックリした表情で呼人が沙希を見た。
「いろいろスポーツ店に行ったんだけどなくて、そのうち隣町のひびきのに行けばあるかも知れない、という話を聞いて、それで…」
「それで朝から?」
「うん」
 呼人にそう答えてから、沙希は言葉を続けた。
「ほら、何度か電話をかけたけど留守電だったし、神社であまり離れて北見くんと会えなかったらいけないし、それに明日試合だし…。途中で雨降ってきたから、もう来ないだろうなと思ったけど、でももしかしたら来るかもしれないとも思っていたから、それで…」
 また沙希の部屋に静寂が訪れた。

「ねえ」
 今度は沙希がその静寂を破った。
「練習続けようね。きっとレギュラーになれるから…」
「ああ、わかったよ」
 呼人がそう答えると、続けて、
「ねえ、虹野さん、この間から聞きたかったことがあるんだけど…」
「なに?」
「虹野さんが俺の事を応援してくれるのって…その…、 俺が頑張っているから、というか…」
 一瞬言葉に詰まる。
「単に俺の事を気にかけててくれただけなのかな?」
 その言葉に、沙希は自分の思いを思わず口にしていた。
「そんなんじゃないよ、そんなんじゃ…。だって私、あなたの事を…」
 沙希にしてはそれが精一杯だった。これ以上自分の想いを口にするのは、やはりあの場所で… そう思ってその後の言葉を言うのはやめた。
「えっ!?」
 呼人はその先の言葉を聞きたそうだった。でもさすがに沙希も今その先を言うのは恥ずかしかったし、それに今は休みたかった。
「もう少しだけ、このままそばにいて欲しいな…」
 そう言うと、そのまま眠りはじめた。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

「うーん!」
 沙希は朝、いつものように目が覚めた。
 どうやら昨日風邪をひいたのも治ったようである。
(よかった。今日の練習試合、大丈夫そうだな)
 そう思うとすぐに着替えを済ませて、出かける準備を整えた。
(今日は神社に行って、願掛けをしなくちゃ!)
 ミサンガを持って部屋を出た。一応おととい(2日)には出来ていたが、昨日の事があったから、早めに作っておいて良かったな、と思った。
 朝食をとって神社に出かけると、早速自分の作ったミサンガの1つ1つに願をかけた。特に良くできた1つには念入りに願をかけて…
(この試合勝てますように、そしてレギュラーが取れますように…)
 沙希が願掛けを終わって、ミサンガをしまい、神社から出ようとした時、呼人がサッカーボールを持って現れた。
「おはよう、北見くん!」
 沙希から声をかけた。
「おはよう! …身体大丈夫なの?」
 心配そうに呼人が聞いた。
「うん、もう大丈夫だよ。それより、今から練習?」
「うん、少しはやっておきたかったから」
 呼人はそう言うと、早速練習を始めた。
 沙希は嬉しそうに呼人の練習を眺めていた。
 不意に後ろから沙希の肩を叩いてきた。
 誰だろうと後ろを振り向いた沙希の視界に、人さし指を唇に当てた未緒が立っていた。
「どうしたの、未緒ちゃん?」
 小声で沙希がそう聞くと、未緒はいたずらっぽく笑いながらやはり小声で、
「北見くん、頑張っていますね。私は散歩に来ただけですけど… 今日練習試合なんですよね。彼に頑張ってと伝えてくださればそれで構いませんよ」
 と言ってその場を離れた。どうやら呼人は未緒が来たのに気づかないようであった。

 そして末賀高校との練習試合が始まろうとしていた。
 末賀高校はこの県の代表として何度もインターハイなどに出場している強豪である。
 全国制覇こそないものの、ここ数年は全国ベスト4にも入ったことがあるくらいに実力をつけている。
 それに対し、きらめきでは大変なことが起こっていた。
 3年生のFWの太田が昨日自主練習中にボールに足を乗り上げて、足首の靱帯を伸ばすケガを負ってしまったのだ。
「そうか。起こってしまったことは何を言っても始まらない。とにかくしっかりケガを直してくれ」
 コーチはそう言うのが精一杯だった。
 もちろん代役を考えなければならない。その代役は既にコーチの脳裏に浮かんでいた。

「集合!」
 みのりの声がグラウンドに響いた。
 メンバーが集合してコーチの話を聞く態勢を整えた。
「FWの太田がケガをして当分の間出場できないことになった。その代わりに…」
 コーチはそう言うと、ある部員の方を向きながら、
「おい、お前! 出場しろ!」
 そう言った。
 「お前」と言われたのは… 他でもない、呼人だった。
「俺ですか?」
「そうだ。お前が一番しっかり見ていたからな、フォーメーションとかだいたい分かっているだろう?」
「は、はい!」
「良ければそのままレギュラーだ! だけど悪かったら、すぐ交代させるからな!」
「はい!」
 そう答えた呼人の表情は、明らかに嬉しそうだった。
 沙希も自然に嬉しくなった。 まだ条件付きながら、もし活躍すればレギュラー決定である。呼人の努力が報われるな、そう思った。

「皆さん、虹野先輩からプレゼントがありますよ!」
 みのりが声をかけた。
「皆さんにこのミサンガをプレゼントします。あまり上手くないかなと思うんですけど一生懸命作りましたので、是非受け取って下さい。本当は教会に行きたかったんだけど、今朝神社で願掛けをしたから、御利益はあると思います」
 そう言うと、部員から歓声が沸き起こった。
 沙希のミサンガを見たみのりが、
「虹野先輩、才能がないなんて言っていましたけど、上手くできているじゃないですか!」
 と声をかけた。
「そう、ありがとう。みのりちゃんに言ってくれると嬉しいな」
 沙希がそう言って呼人の方を見ていると、呼人は苦笑いしていた。やはりあの時、この話のことを自分のことと誤解して聞いていたようである。
「はい、これ、あなたの分」
 沙希は呼人に近づいて、一番良くできたミサンガを呼人に渡した。
「ありがとう」
 そう言って呼人はミサンガを受け取った。沙希は呼人を見て、気がついた。
「あっ」
「ありがとう。とってもはき心地がいいよ」
 呼人は沙希からプレゼントされたストライカーズマックスをはいていた。
「スタメン、頑張ってね。未緒ちゃんも応援してるって」
「如月さんが?」
「夜練のこと、知ってたみたい。未緒ちゃん、家が近くだから…」
 沙希はそう言った後で、小声で、
「私がそこにいたことも、知ってたみたい。フフフ…」
 と呟くように囁いた。

「あの、さ…」
 突然呼人が聞いてきた。
「なに?」
「昨日の続きだけど…」
「うん?」
「『だって私、あなたの事を…』のあとが聞きたいな… って」
 そう言うと呼人は思わず笑った。恐らく照れ隠しに笑っているのだろうな… 沙希はそう思った。
「私、そんなこと言った?」
 沙希はわざとそう言った。もちろん自分でもその言葉を言ったことを覚えている。
だからちょっと意地悪してみよう、と思っての言葉だった。
「えっ、覚えてないの?」
 呼人が慌てて聞いた。やっぱり…
「うん」
「えっ、それじゃ…」
 これ以上いじめても可哀相だな…
「…ウソ」
 そこにみのりが怒った表情で割り込んできた。
「あー、何やってるんですか、そこの2人!」
 呼人が慌てて、
「みのりちゃん、今大事なところ…」
「大事なところ?」
「いや、その…」
 何とか呼人が話をそらしたようである。それを見てみのりが怒った表情のまま言った。
「まったく油断もスキもないんだから… 先輩、一言言っておきますけどね…」
「は、はい…」
 沙希もその後のみのりの言葉が気になった。
「虹野先輩をガッカリさせたら、ただじゃ済みませんからね!」
「えっ…」
 一瞬呼人もその言葉の意味を理解しかねた。しかしその言葉の意味に気がつき、
「それって、 …つまり?」
 と言うと、みのりはいつものようにアカンベーをしてから笑い出した。
 沙希も、ようやく呼人がみのりに認められたことを知って笑顔を見せた。

 そして末賀高校との練習試合が始まった。呼人が初めてスタメンで出る試合が…

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

「でも、すごかったな、彼。あの試合で2ゴール1アシスト挙げて、あの末賀高校に勝ってしまって。末賀高校の監督も『あの16番の選手、荒削りだけどすごい才能がありそうですね』とほめてくれてた。コーチも謙遜はしてたけど、まんざらではない表情だった。あの日以来、彼は誰もが認めてくれる選手として、レギュラーの地位を不動のものにしちゃったんだよね」
 沙希は下に向かっていた視線をまた幹に戻した。
 あの日以来、呼人と沢渡の2トップは県内に広く知られるようになり、きらめきは県内屈指の強豪に育っていった。この年のインターハイの県予選こそ、リベンジに燃えた末賀高校に決勝戦で惜しくもPKで敗れたものの、3年中心だった末賀に対し、1・2年でいい選手が揃ってきたきらめきが来年は県No.1になってくるだろう、そのような評価がつけられるようになった。
 そしてそのチームのキャプテンとして、夏から呼人がチームを牽引するようになった。途中入部だった呼人だが、もはやそのことを部員の誰もが気にしなくなっていた。
ただ呼人自身のこだわりなのか、自分から16番のユニフォームを引退まで他人に渡すことはしなかった。
 対戦校に「16番のキャプテン」と笑われたこともあった。しかしその時も呼人は笑いながら、
「言わせておけばいいよ。俺はこの番号に愛着があるから気にしてない。もっともこの試合でうちに負けたら、あいつらだって同じことは言えないと思うよ」
 と言って、実際に勝って相手を黙らせてしまったものである。唯一負けた末賀高校にしても、春の練習試合の事があるから「16番のキャプテン」の存在を逆に恐れているくらいであった。

「それともう1つ、神社での夜練も結局やめなかったね。『レギュラーになるまで頑張る』って約束したけど、彼、レギュラーになった後もずっと頑張り続けて…、キャプテンになっても練習量は誰よりも多くて、みんなこれじゃまずいって一生懸命に練習して…、気がついたらすごいチームになっていた…」
 実際きらめきはこの数カ月前、インターハイ初出場で全国制覇という、とんでもない偉業を達成したばかりである。いうまでもなくそのチームのMVPに輝いたのは呼人である。
「でもそれで私は逆に心配になってきたのかもしれない。彼のまわりに女の子のファンが多くなってきて…。彼こういったことに慣れてないから、もしかしたら…と思った。そしてまさかと思ったことも…」
 沙希はそう呟いてから、伝説の樹の幹に寄り掛かって、ひびきのの方に身体を向けた。
「あの時、あの人たちに支えられなかったら、私、一体どうなってたんだろう…」

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