虹色の想い出〜ときめきメモリアル虹野沙希編外伝〜

回想4〜そして卒業へ、想い出がいっぱい〜

 沙希は樹にもたれかかって、空を見上げていた。
「それにしても彼、あれから全国区だもんね、毎日のようにファンレターが来て…。ちょっと私不安だったけど、彼はそれでも浮つかずに一生懸命頑張っていた。心配することなんかなかったよね」
 そう言ってしばらく無言で空を見つめる。
「もちろんきらめきでもすごい人気だった。鏡さんが親衛隊に入れようとしたり、紐緒さんが人体実験しようとしたり…。私あの時はいろいろと戸惑っちゃたよね。でも如月さんも親身になって相談してくれたし、それにひびきのの女の子たちにも助けられて…。ちょっと辛い時期もあったし…。私ダメだよね、何か自信なくしちゃったな、って思ってたから、すごく嬉しかった」
 沙希はそう呟いてから、目を閉じた。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

<それがあなたのいいところ〜2年目秋、秋穂 みのり編〜>

6月18日、日曜日。
 この日はきらめき高校とひびきの高校の対抗試合が行われた。
 運動部はこの日ひびきの高校に行って、練習試合を行う。もちろんどの部活も、である。
 体育館では午前中はバスケ部、午後はバレー部、武道館では剣道部、テニスコートではテニス部、そしてシーズンが近づいてきたこともあって、プールでは水泳部の対抗戦が行われる。早くもこれらの場所には人だかりが出来ている。バスケ部には早くもきらめきの司令塔になりつつある藤崎詩織が、剣道部ではひびきのの精神的支柱となりつつある穂刈純一郎が、水泳部にはオリンピック候補といわれている清川望が注目を集めているが、テニスコートでは寿美幸と古式ゆかりがシングルスで対戦している中、なぜか坂城匠を始め、カメラを持った男子生徒が多く集まっていた…
 もちろんグラウンドでも熱戦が行われた。まず陸上部が先陣を切り、陽ノ下光が女子200mで自己ベストを切って優勝した。
 次に野球部の対抗試合が行われ、接戦になったがひびきのが勝ち、マネージャーの佐倉楓子が嬉しそうな表情で選手にタオルを渡していった。その傍らでは八重花桜梨が微笑みながら野球部を見つめている。

「八重さん、久しぶり」
 肩を叩かれながら声をかけられた花桜梨が振り向くと、沙希が立っていた。
「あっ、虹野さん、こんにちは」
「こんにちは。八重さん、今日は野球部の応援?」
「うん… 佐倉さんが頑張ってるから」
「あっ、虹野さ〜ん!」
 沙希に気がついた楓子が嬉しそうに手を振って近づいてきた。
「佐倉さん、勝って良かったね」
「うん! …あ、でも虹野さんにとってはあまり嬉しくないかな?」
 ちょっと心配そうに楓子が聞いた。
「いいの。きらめきに勝って欲しかったけど、ひびきのだって佐倉さんがマネージャーしてるチームだもの、どっちが勝っても嬉しいよ」
 沙希が嬉しそうに答える。
「そっか… 次はサッカー部だよね。準備はいいの?」
「うん、今日はみのりちゃんが中心になってやることになってるから。あっ、みのりちゃんは私の後輩で、バッテンのヘアピンをしてる子なの」
「でもその子、なんかボーッとしてるよ。何かをじっと見てるみたい」
 花桜梨がみのりを見てそう呟いた。
「えっ、ウソ?」
 沙希がそう聞くと、今度は楓子が、
「確かに八重さんの言う通りだよ。なんか… 16番の男の子を見てるみたい」
 と答えた。
(どういうことなんだろう?)
 沙希はちょっと疑問に思ったが、別に大したことではないと思い、花桜梨と楓子にサッカー部の試合を見るか聞いてみた。
 花桜梨はこのあとバレー部の試合が見たいからと体育館に向かい、楓子一人がひびきのの応援席から見ることになった。
 サッカー部の試合は5対0できらめきが圧勝した。呼人がハットトリックを決め、沢渡も2ゴールを決めた。もはや弱小ひびきのサッカー部にはこの2トップを止める力はないのが明らかだった。

 それから3ヶ月が経った。9月17日、日曜日。
 きらめき高校の運動部も2年生が中心となり、サッカー部も新体制で初の練習試合が行われた。
 背番号5の横山誠が檄を飛ばし、背番号11の沢渡透がゴールを決める。
「ナイスシュート!」
 背番号16の選手が嬉しそうに沢渡に声をかけたあと、横山のところにいって何ごとか話をし始めた。
 横山は背番号16の選手の話を聞いたあと、笑いながら頷き、また檄を飛ばした。
 この背番号16の選手こそ北見呼人その人である。よく見ると左腕にキャプテンマークをつけている。
 沙希は嬉しそうに呼人の姿を追いかけながら、キャプテンを決めた時のことを思い出していた。

 キャプテンを推薦する時、真っ先に呼人が横山を推薦した。呼人にしてみれば、最初からチームにいるし、チームをまとめられる存在として信頼していたからであった。しかしその横山から、
「俺は呼人にキャップをやってもらいたい。これは俺たちチームの総意としてお願いしたい」
 と言われたのである。呼人は最初途中入部だからと断っていたのだが、チームのみんなの熱意に動かされる形でキャプテンを引き受けることになったのであった。

(うん、やっぱり呼人くんがキャプテンやってくれて良かったな)
 沙希はそう思った。呼人は他人に対する気配りに抜群のセンスを持っている。レギュラーだけでなく、控え選手、コーチ、マネージャー、様々な立場の人に気を配っているのが分かってきた。新チームになってからコーチの檄が目に見えて激減したが、コーチが新チームに見切りをつけたからでなく、コーチが檄を飛ばす前に呼人が檄を飛ばすからである。また呼人はマネージャーの仕事も積極的に手伝ってくれる。そのくせ練習には手を抜かないから、他の選手もプレッシャーを感じて練習に緊張感が出てきたのを感じていた。
「さあ、みのりちゃん、そろそろハーフタイムだよ」
 沙希はみのりに声をかけた。がなぜかみのりはボーッとしたままである。
「みのりちゃん!」
「は、はい!」
 ビックリした雰囲気でみのりが沙希を見た。
「そろそろハーフタイムよ。しっかりしようね、みのりちゃん」
「はい!」
 みのりはそう答えると、慌てて冷たいタオルの入ったクーラーボックスを取りにいった。
 沙希はその後ろ姿を見ながら、不意に3ヶ月前の楓子の言葉を思い出していた。

「みのりちゃんが呼人くんのことを好きなんだって?」
 沙希が驚いた表情で好雄に聞いた。
「俺も信じられないと思ったんだけど、でも優美が言うには間違いないって」
 好雄が優美を見ながら答えた。
 9月21日、木曜日。優美からの話を聞いた好雄が沙希を早乙女家に誘っていた。沙希の親友の如月未緒も、一緒に早乙女家について来た。
「優美ね、今日みのりから相談を持ちかけられたんだ」
 優美がそう言って顛末を話し始めた。
 最初みのりは沙希と一緒にいたかったので、呼人のことを邪険に扱っていた。
 ところが練習試合の中でみのりが偶然呼人が残って練習しているのを見て、それから一緒に残ってボール磨きをするようになったのだそうである。
 呼人はレギュラーになってもボール磨きをやめようとしなかった。みのりがどうしてレギュラーになってもボール磨きを続けるのか聞くと「別に気がついた人がやればいいと思う」と答えられて、みのりは呼人のことを意識し始めたのだという。
「北見先輩はそれまで点数を稼ぎたいとかいい印象をみんなに与えたいからやっているんだろうな、みのりはそう思っていたんだって。でも一緒にボール磨きをしているうちに、北見先輩はすごく純粋で、決してスタンドプレーする人じゃない、そう思い直すと同時に、北見先輩のことを好きになったんだって」
 優美がそう言うと、沙希はため息をつきながら「そっか…」と呟いた。
「でそれでみのり悩んじゃったんだって。恐らく北見先輩は虹野先輩のことが好きだし、虹野先輩も北見先輩のことが好き。でみのりも虹野先輩が好きなんだけど、北見先輩のことを好きになっちゃったから、下手に付き合おうとすると虹野先輩に申し訳がない気がして… それで悩んでいるんだって」
「そうか…」
 沙希にとってはみのりは可愛い妹のような存在である。だけど今回の件は沙希からみのりに直接アドバイスはできないと思った。
「そうですか…」
 それまで黙って話を聞いていた未緒はそう言ってしばらく考えてから、ある提案をした。
「えっ、でも…」
 好雄はそう言って沙希を見た。
「私はそれでいいと思う。それでどんな結果が出ても悔いはないと思う」
 沙希はそう言って胸を張った。
「でも最悪の場合、沙希ちゃんが辛い想いをすると思いますよ」
 未緒が心配そうに聞いた。
「それでもいいの」
 沙希は強がってそう言った。でも実は内心不安も感じていた。

 9月24日、日曜日。
 沙希は部屋でボーッとしていた。
(どうしてるかな、あの2人…)
 つい心配そうに考え込んでしまう。
 実はみのりと呼人がデートをしているのであった。
 みのりが前日の土曜日、沙希の目の前でデートの申し込みをした。呼人は沙希にどうしてよいか伺いを立てたのだが、事情を知っている沙希が「デートをしてあげたら」と言ったので話はあっという間にまとまってしまったのである。
(呼人くん、みのりちゃんのことどう思っているんだろう…)
 みんなの前では強がっていた沙希であったが、さすがに不安でどうしようもなかった。
(2人のデートをつけてみたかった)
 もちろんそう思っても後の祭りである。
 沙希はこうして悶々とその日を過ごした。

 9月25日、月曜日。
 ちょっと暗い表情のまま、沙希はサッカー部の部室に足を運んだ。
 途中で呼人に声をかけられた。
「沙希、どうしたんだ、元気がないぞ!」
 呼人の声も、今の沙希には苦痛でしかなかった。
「うん…」
 どうも生返事になってしまう。
「ほら、元気出してくれないと! 今日みのりちゃんは学校休んでいるんだし!」
「えっ! どういうこと?」
 沙希は呼人を思わず見つめていた。
「ズル休み」
「ウソ!?」
 沙希は思わず叫んでしまった。みのりちゃんがそんなことをする訳が…
「…正直に言って、心の整理をするのに1日は時間がかかるんじゃないかって思うんだ。」
「えっ!?」
「とにかく、今日は沙希が一生懸命頑張ってくれないと、大変だぞ!」
 そう言って呼人が部室に入った。
(どういう事なんだろう?)
 沙希は釈然としないものを感じながら、マネージャーの仕事を始めた。

「えっ、それじゃ、みのりちゃんを振ったの?」
 沙希が驚いた表情で呼人に聞いた。
 いつもの神社で、沙希の手作りの弁当を食べながら呼人が答えた。
「うん、俺には思い続けている人がいるからゴメンなさい、って」
「それで、みのりちゃんは?」
 沙希がそう聞くと、呼人は神社の林を見つめながら、
「みのりちゃん、俺なんかより強いよ」
 と答えた。
「みのりちゃん、俺が付き合えないというと、『分かりました。やはり虹野先輩のことが好きなんですね』って… 恐らくみのりちゃん、結果がダメだと分かってて、それでも勇気を振り絞って告白してくれたんだと思うんだ」
「そうなんだ…」
「昔の話なんだけど、俺、詩織のことが好きで、詩織と付き合いたいと思っていた」
 突然の呼人の言葉に、沙希はやっぱりな、と思った。
 幼馴染みの可愛くて素敵な女の子に恋心を抱かないなんて、絶対ウソだと思う。
「でも俺には詩織に告白する勇気がなかった。詩織に告白して断られたら、今までの関係が崩れちゃうなと思って、どうしても踏み切れなかった。だからやっぱり、みのりちゃんは強いとな思った」
「そっか…」
「もちろん、今は違うよ。今は詩織のことはただの幼馴染みだと思っている。俺には今、本当に大切にしたいなと思っている女の子がいるんだ」
「ふーん、うらやましいな、その女の子が」
 沙希が茶化して答えた。
「でも俺からは告白しないと思う」
「えっ、なんで?」
 ビックリした表情で沙希が聞いた。
「まずは俺という人間をしっかりと磨かなくちゃ、その女の子に相応しい人間にならなくちゃ。それが先決だと思う。そしてその女の子が俺のことを好きだとしたら、卒業の時に…」
「伝説の樹の下で?」
「うん。あの伝説を成就させたいな、ってね」
 呼人はそう言ってから、沙希の方を向いて悪戯した時のようにちょっと舌を出した。
「それにしても大変な約束をさせられたな」
「どういう約束?」
 沙希がいぶかしげに聞いた。
「うん、2つあってね、1つは、俺が卒業するまでに、必ずみのりちゃんを国立競技場に連れていく約束。もちろん選手としてね」
「そっか、できるといいね」
「末賀高校に勝たないとキツいけどね」
 呼人はそう言ってちょっと笑った。
「それともう1つは…」
「何?」
「沙希を泣かせないこと!」
「もうっ!」
 沙希はちょっと涙ぐみながら呼人を軽くぶった。
「だから俺もみのりちゃんに約束させた」
「どんな?」
「もっと自分を磨いて、いい意味で誰もが、それこそ沙希ですら振り向くような女になれって」
「いいの? そうしたら呼人くん、後悔するかもよ。こんな素敵な人になるんだったら、あの時振らなければよかった、って」
 沙希がまた茶化す。
「いいよ。俺の行先はもう決まったから」
 呼人が苦笑いして言ったあと、すぐに真顔になって、
「明日はみのりちゃん学校に行くって言ってた。すぐには立ち直れないかもしれないけど、でも俺たちがみのりちゃんの味方になってあげないとな」
「うん、そうだね」
 沙希もそう言って頷いた。

 9月26日、火曜日。
「おはようございます。昨日はすみませんでした。今日からまた宜しくお願いいたします!」
 呼人と沙希が部室に入ると、先に来ていたみのりがそう言って挨拶した。
「分かった。それじゃ頼むよ、みのりちゃん」
 呼人がそう言うと、みのりは嬉しそうに「はい!」と返事をした。

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「あの時のみのりちゃん、辛かったんだろうな。でも逆にそれをばねにして、本当に素敵な女の子になって来ているのが、近くにいてよく分かった。あの時彼に振られたことで、自分を見つめ直し、自分の内面を磨いていった、それが今の素敵なみのりちゃんを作っていったんだろうな、って思う」
 沙希はそう呟いてから、一息入れて、
「もし今のみのりちゃんに告白されたら、彼、どうしたかな。ちょっと見てみたいな」
 そう呟いて、思わず苦笑いしまった。もしかしたら自分が振られてしまうかも、そう思ったからである。
「でもみのりちゃんのことを言っていられなかった。自分も試されてたんだよね。あの時…」

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「あの時、私焦ってたのかな、やっぱり…」

 それは教室での他愛のない会話から始まった。
「ねえ、友美。あのさぁ、今年の夏休み、どうする?」
「そりゃ、海に行って、いい男を見つけて燃えまくるのよ!」
「やっぱり? あたしも彼氏と外泊して、燃えまくるよ」
「それじゃ、夏休み終わったら、お互いに報告ね」
 沙希はその会話を聞いていて、少し寂しくなっていた。
(なんか、肩身狭いな…)
 きらめき高校は比較的いい生徒が集まっているとはいわれていたが、それでも遊び人は出てくる。ただ1年の時には恐らく教室では話しにくいのでトイレなどで話していたであろう話を、教室で大声で話せるそんな雰囲気に、ちょっと嫌な感じを持っていた。
 と同時に、自分の身体の事を思い出して、ちょっと恥ずかしい気持ちもした。胸もそれほど大きくないし、プロポーションだって藤崎さんや鏡さんほど素敵ではない。
もちろん沙希だって思いを寄せている男の子はいるが、さて2人きりで… という状況を考えた時、とても恥ずかしくてその場にいられないような気がした。
 もっとも、それは彼が私の事を本当に好きなら、という前提がある。最近の彼は逆にそんなことは微塵も出さずに、もしかしたら私の事を女だと思っていないんじゃな
いか、という感じにすら思える。

「お疲れさん」
 沙希は練習が終わった呼人にタオルと弁当を差し出した。
 ここはいつも呼人が夜間練習をしている神社。呼人が練習を始めてから2年、沙希が呼人の練習に付き合うようになって1年以上が経った。あの一件以来、それこそ1日も練習を欠かさず2人一緒に来ている。
「ありがとう」
「それじゃそこに座って食べましょう」
 沙希はそう言うと、ベンチに腰をかけた。
 続いて呼人が沙希の隣に座り、弁当を食べはじめた。
 沙希は弁当を食べる呼人を見ながら、思わず顔を赤くしていた。
 いつもはジャージでこの神社に来る沙希だが、今日はダブダブのシャツにミニスカートという恰好で神社に来たのであった。
 もちろん沙希はこのような服を持っていない。好雄の友達の朝日奈夕子という女の子から借りたのであった。ちなみに夕子から1週間お弁当を作って持ってくるという交換条件をつけられて。
「ちょっと今月遊び過ぎてパン買う金なくてさ〜、だから虹野さんにお弁当作ってもらうとすっごく助かるんだ〜。それに好雄くんに『虹野さんのお弁当なんだ〜』といって見せびらかしながら食べるのも、超快感! って感じなんだ!」
 夕子は笑いながらそう言った。沙希にしてみれば充分遊び人という感じのする夕子なのだが、だけどどこかで必ず一線を引いているようで、決して男に媚びる事がない、その点が気にいっていた。

 閑話休題。
 夕子と沙希は比較的体型が似ていたのでうまく着ることができたが、さすがに神社に来る時も恥ずかしかった。
 今も先にベンチに腰掛けた時、立っていた呼人にミニスカートの中を見られたかもしれない、そう思って顔を赤くしていたのだった。
「どうしたの?」
 呼人を見ていた沙希に気がついて、呼人が声をかけた。
「ううん、なんでもないの」
 沙希は慌てて手を振る。
「そうか、それならいいんだけど…」
 呼人はそういうとまた弁当を食べはじめた。
 食べ終わると、呼人は弁当箱を沙希に返した後、
「それじゃ、帰ろうか。送っていくよ」
(えっ!)
 沙希は呼人の言葉にびっくりした。いつもはこの後いろんな話をざっくばらんにして、それからそれぞれ
自分の家に帰っていくのだが、今日は珍しく会話もしないで帰ろうとしているのだ。
「沙希、そろそろ行くよ」
 呼人の声につられて沙希も慌てて神社を出た。
 沙希と呼人が並んで帰る間、珍しく呼人は全く会話をしようともしなかった。
(どうしたのかな、呼人くん?)
 そう思って沙希は呼人に聞いた。
「呼人くん、もしかして… 何か怒ってるの? もし良かったら、私に教えてくれる?」
 呼人はその質問に視線をあわせないまま、
「いや、怒っている訳じゃないけど… でも、ゴメン、これは沙希には言えないことだから…」
 と答えた。
「そっか…」
 沙希はそう呟きながら、
(なんか私に言えにくい秘密があるって、嫌だな…)
 そう思っていた。
 沙希の家に着くと、呼人は、
「それじゃ、また明後日、学校でな」
 そう言って帰っていった。

「えっ、虹野さんに魅力がないって?」
 八重花桜梨がびっくりした表情で聞いた。
 ここはひびきの駅前にあるおしゃれな喫茶店である。
「注文が決まりましたらお呼びしてねん」
 「九段下」というネームプレートをつけた店員が、およそ普通の店員らしくない対応で去っていった。
「うん、昨日もミニスカートで行ったんだけど、あまり反応がなくて… 逆にあまり喋ってくれなくて…」
 沙希はそう言って花桜梨を見た。
 花桜梨は苦笑いをしながら沙希を見ていた。その表情を見て、沙希は相談相手を間違えたかも、と思った。
 花桜梨は3年生に進級する際に、実は退学騒ぎを起こしていた。そもそも人間不信の傾向があった花桜梨は、親友の佐倉楓子が2年の夏に大門高校に転校していってから、ひびきの高校に通ってもしかたがないような気がしたのだという。だけど結局ひびきのに残ったという。なんでも花桜梨のことを気にかけていた男の子が、退学しようとする花桜梨を何とか押しとどめたようであった。花桜梨は結局ひびきのに残ると言い、その時に花桜梨の過去を話してくれたのであった。
 沙希は花桜梨が退学を押しとどめてくれたその男の子と付き合っていると思ったので相談したのだが、どうやら彼とは「人間として尊敬できる存在」であり、男と女の関係とは違うようであった。
「そろそろ注文決まったかな?」
 『九段下さん』がまたテーブルに来たので、沙希はレモンティー、花桜梨はブラックのブレンドを注文した。
「ゴメンなさい。私、恐らく虹野さんの相談に答える資格がないと思う」
 苦笑いした表情のまま花桜梨が答えた。
「そうだよね、男に媚びるような事したのって、花桜梨さんにとっては気に入らないんだろうな、って、花桜梨さんに話してから気がついた。バカだよね、私って」
「そんな事ないよ。ただ、私そういった経験がないから。佐倉さんなら答えられるのかな、と思うけど…」
 花桜梨はそう言ってしばらく考えてから、
「そうだ、今年うちに来た先生なら相談に乗ってもらえるかも」
「先生に?」
「うん、麻生華澄先生といって、今年大学を卒業してひびきのの先生になったんだ。国語の先生で… しっかりと教えてくれるから、生徒からすごく信頼されてるんだ。陸上部の陽ノ下さんの知り合いだって言ってた」
 花桜梨がそう言っているうちに『九段下さん』がテーブルにやってきてレモンティーとコーヒーを置いた。
「はい、レモンティーとブレンドお待たせ。それもう一件注文ねん
「えっ、注文なんかしてないですけど…」
 沙希が慌てて否定する。
「いいからいいから…」
 『九段下さん』はそう言うとおもむろに携帯を取り出して電話をかけ…
「華澄? あたし、舞佳。 …何寝ぼけてるの、相変わらず朝弱いわね〜 …それより華澄を注文するって。ひびきのの可愛〜い女の子からの御指名! 早く来てやんな!それじゃ、頼むわね〜ん」
(あの… 今仕事中じゃ…)
 沙希も花桜梨もそう思った。

 華澄は大あくびをして喫茶店に入ってきた。
 早速舞佳に喰ってかかる。花桜梨は今まで見てきた華澄先生の意外な面を見て唖然となっている。
 沙希と花桜梨のテーブルに華澄がつくなり、苦笑しながら、
「ゴメンなさいね。私実は朝がすごく弱いの。変なところを見せちゃったわね」
 と謝った。
「いいえ。 …でもここの『九段下さん』とは知り合いなんですか?」
 花桜梨が聞く。
「うん。舞佳とは中学時代からの親友なんだけど…」
 華澄がそう言うと、舞佳がコーヒーを持ってきて、
「はい、ブレンド。これでしっかり頭を目覚めさせてね」
 と置き、レシートに何やら書き込んでから華澄の前に置いた。
「なんで私の前に置くの?」
「そりゃ、可愛〜い教え子のためなんだから、こんな事でケチケチしないの!」
「もう!」
 そう言ってレシートを見てから、
「わかったわよ。もう、舞佳って強引なんだから…」
 と言ってから花桜梨と沙希を見た。
「あっ、ゴメンなさいね、八重さん、一体どうしたの?」
 華澄がそう聞くと、花桜梨は
「実は私ではないんです。ここにいる私の友達の相談に乗って欲しいなと思っていたんです」
「あなたは… ひびきのの生徒ではないの?」
「あ、はい。私はきらめき高校の3年の虹野沙希と申します」
「一体どうしたのかな?」
「実は、ですね…」
 沙希はそう言って、話を切り出した。
 華澄はその話を全部聞いてから、自分のアドバイスを提示した。
 みるみるうちに沙希の顔に明るさが戻ってきていた。
「ありがとうございました」
 そう華澄に礼を言って沙希と花桜梨は華澄と別れた。

 その日の夜
「お疲れさん」
 沙希がいつものジャージ姿で呼人にタオルと弁当を渡した。
「ありがとう」
 呼人がそう言ってタオルと弁当を受け取り、汗を拭ってから弁当を開けた。
「呼人くん、ゴメンなさい…」
 沙希は弁当を食べている呼人の横顔に向かって謝った。
「ゴメンって?」
「私、なんか昨日変な事してたよね。あれで気分を害してたのなら、謝ります。ゴメンなさい。」
「いいよ、俺、気にしてないから」
「でも、私の話を聞いて欲しいな」
「いいよ。でも、食べながらでいい?」
「いいよ」
 沙希はそう言うと、話を始めた。
 今日花桜梨と昨日の件について相談したこと。
 花桜梨と舞佳の紹介で華澄から話を聞いたこと。
 その話を聞いて自分の心の中に焦りがあったのに気がついたこと。
「華澄先生から言われたんだ。男と女の関係になるのはそんなに難しいことじゃないって。でもそんな関係は単に自分の欲望を満たすことができるだけで、その先の事を考えると、もっと自分を磨き、相手のことを身体だけでなく心も真剣に見てあげる、それが大切じゃないかなって。だから私も自分をもっと磨かなくちゃ、って気がついたんだ。 それに色気で男の子を誘うなんて、自分に本当の意味で自信のない証拠だって言われて、ちょっとショックだった。やっぱり焦ってたんだよね…」
「そうだったのか…」
 呼人は沙希の話を聞いて納得した表情で頷いた。
「なぜ昨日ヒナの服で来たんだろう、と思ったから」
「朝日奈さんの服って気がついてたの?」
「うん。前にヒナが同じ格好してたの見てたから」
「そうなんだ…」
 沙希がそう呟いた後、しばらく静寂が訪れた。
「俺、多分こんな事を言うと沙希に嫌われちゃうかな、と思って言わなかったんだけど…」
 しばらくして呼人が切り出した。
「なに?」
「昨日弁当食べる時に沙希が先に座ったじゃない。あの時…見えちゃって…」
「えっ! やっぱり…見えちゃってたんだ…」
 沙希の顔が真っ赤になった。
「あの時、すごく不謹慎だったんだけど、興奮しちゃって… 何とか気を紛らわそうと思ったんだけど、どうしてもダメで、このままいろんな話をしてたらもしかしたらとんでもない事をするかも、と思ったから… こっちこそゴメンな」
「そっか… 私それで自分に魅力がないのかって悩んじゃったんだけど、実は私の勘違いだったんだ」
「うん。充分沙希は魅力的な女の子だと思っているよ」
 呼人がそう言うと、思わず苦笑しながら話を続けた。
「その後が大変だった。とにかく興奮を鎮めたいけど、でも全く治まらなくて…。だから今日は練習にならなかった。エネルギーをそれまでにかなり使い果たしちゃったから」
「どうして?」
 沙希は純粋にその理由が聞きたかった。
「沙希、お前何を期待してるんだ?」
 呼人が顔を真っ赤にしながら沙希に聞いた。
「別に、どうしてそんなにエネルギーを使うんだろうって…」
 あくまでも純粋に理由を聞きたい沙希であった。
「そんな事、さすがに言えない…」
「ねぇ、教えてよ。私、マネージャーとして心配だから…」
「だからさすがに言えないよ、沙希とエッチしてる事を想像して10回以上もしてたなんて!」
 …おいおい、言ってるじゃん!
 その呼人の言葉を聞いて、沙希も顔を真っ赤にした。
「そうだっ…たんだ…それで…バカ…」
 そう言ったきり、沙希は絶句してしまった。
「でも、今はそれ以前にしなければならない事があるし、今の関係を大切にしたいから。だから卒業までは自分を磨き続けようと思う」
「そうだよね。私も協力する!」
 沙希は笑顔を見せた。ようやく呼人の気持ちが少しだけ分かってきた、そんな感じがした。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

「バカだよね、私って。自分に魅力がないって勝手に思い込んで、つい墓穴掘っちゃって。考えてみれば2年の春に彼が悩んでいたのと全く同じ事してたんだ」
 沙希は自分の身体を見た。あまり抜群のプロポーションではないが、そんな自分のからだが決して嫌いではなかった。
「あの一件で彼との距離がまた近づいた感じがした。それが一番嬉しかった」
 沙希はそう呟くとちょっと笑顔を見せた。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

<第3節 幸せのイメージ〜3年目冬、藤崎詩織編〜>

 不意に足音が聞こえてきた。
(彼が来たのかな?)
 そう思って幹の脇から顔を覗かせたが、来たのは女の子であった。
 しかも、沙希の良く知っている女の子、そしてそれ以上に彼の良く知っている…
「こんにちは、虹野さん」
 相手はそう言って挨拶をした。
「こんにちは」
 沙希は相手にそう言って相手を見た。
「虹野さんも、やっぱり彼に告白するのね」
 ちょっと微笑みながら、彼女は沙希に言った。
「うん。もしかして、あなたも?」
 沙希が聞き返すと、彼女は黙って頷いた。
「そうか、私たちライバルなんだよね」
「そうだね。でも彼がどちらを選んでも、お互い恨みなし。もし彼が虹野さんを選んでも、私は虹野さんを祝福します」
「私も同じだと思います。悔しい気持ちはあるけど、他の人ならともかく、あなたなら私も納得できると思います」
「それじゃ宜しくね、虹野さん」
「こちらこそ宜しくお願いします、藤崎さん」
 会話を済ませた後、彼女〜藤崎詩織は微笑んだ。

―――――*―――――*―――――*―――――*―――――

 2月になり、気がつけばあと少しで卒業である。
 沙希は久しぶりにサッカー部室に足を運んだ。
 部室ではみのりが後輩マネージャーに指示を出している。沙希の姿を見つけると、みのりは嬉しそうに、
「虹野先輩、お久しぶりです!」
 と挨拶した。
「こんにちは、みのりちゃん。 …それにしてもみのりちゃんも、だいぶいいマネージャーになってきたね」
 沙希が茶化すと、みのりはちょっと笑って、
「でも『伝説の』虹野先輩には叶いませんよ」
 と答えた。
「そんな、『伝説』なんて、私は…」
 沙希が言うと、みのりは思わず笑い出した。
「あっ、私を茶化したな!」
 沙希も自分が茶化された事に気がついて思わず笑い出した。
「あー、おかしかった… でも、呼人先輩は今日は来てませんよ」
「うん、文集委員をしているんだよね、呼人くん」
「うん。でも…」
「どうしたの、みのりちゃん?」
 沙希はみのりの表情が曇ったのに気がついて聞いた。
「なんか嫌な噂を聞いたんですよ」
「なに、嫌な噂って?」
「うん、ほら、私バスケ部の早乙女優美と仲が良いじゃないですか」
「うん、好雄くんの妹さんだよね」
「そうなんですが… 優美のお兄さんからの話だと、3年A組の文集委員に呼人先輩と藤崎先輩がなっているんですけど、どうも見ていて熱いな〜、って」
「熱い?」
「はい、どうも付き合いそうなくらいに一緒にいる事が多くて、特に藤崎さんが積極的に一緒にいるような感じだったって」
「でも、呼人くんと藤崎さんって確か幼馴染みだったから、それでそういう風に見えるのかもしれないんじゃない?」
「だといいんですけど、とにかく見てみたらどうですか? いずれにしても、あたし呼人先輩が虹野先輩と付き合わなかったら呼人先輩のこと嫌いになっちゃいます!」
 みのりが最近の彼女にしては珍しいくらいに厳しい口調でそう言った。
 沙希はその想いが良く分かっていた。みのりも呼人のことが好きだった頃があったのだが、結局呼人に振られてしまった。呼人の沙希への思いを知っていたからこそ、
みのりも納得して退がったのだが、呼人と詩織が付き合ったのではみのりのそんな想いが無駄になってしまう。
「とにかく一回見てみる」
 沙希はそう言って3年A組の教室に向かった。

 3年A組では呼人と詩織が笑いながら文集を作っていた。
 沙希は後ろの扉から、そんな二人の姿をじっと眺めていた。
 呼人も詩織も、文集を作りながら、3年間一緒だったクラスのこと、昔の話、様々な話を楽しんでいた。
(私の知らない呼人くんが、そこにいる…)
 沙希は思わず涙を流していた。

 私は呼人くんのことが好き。
 卒業式の日に、あの伝説の樹の下で呼人くんに告白する。
 そして呼人くんから好きだと言ってもらう。
 そして二人で一緒にこれからの人生を歩んでいく。
 笑い、怒り、悲しみ、楽しみ…
 そして結婚して、子どもを作って、楽しい家庭をつくる。
 そして、年をとっておじいさんとおばあさんになった時に、それまでの話を笑い話にしよう。

 でも、藤崎さんに呼人くんをとられたら…

 わたし、いったいどうなるのかな…

 沙希は今までにない不安にとららわれていた。

 2月28日、卒業式前の最後の登校日。
 放課後になったが、沙希は浮かない顔をしていた。
 呼人は最近詩織と一緒に帰っているようである。沙希の方は呼人が神社での夜練をやめてしまったので、ほとんど顔を合わせる機会がなくなっていた。

 私、呼人くんにどう思われているんだろう?

 そう上の空で考えていると、誰かが沙希を呼ぶ声が聞こえてきた。
 誰だろうと思って声のした方を見ると、廊下に詩織が立っていた。
「どうしたんですか、藤崎さん?」
「虹野さんと一緒に帰ろうと思って… ダメですか?」
「別に構わないわ」
 沙希はそう言うと、あまり多くない荷物を持って詩織と学校を出た。

 公園で不意に詩織が、
「ブランコに乗らない?」
 と誘ってきた。
 沙希に断わる理由がないので、そのまま2人はブランコに乗った。
 最初2人は全く会話をしないまま、軽くブランコを揺らし続けた。
「虹野さんには言っておきたい事があるの」
 先に口を開いたのは詩織だった。
「なに?」
 沙希の問いかけにしばらく黙っていたが、意を決したかのように口を開いた。
「私、呼人くんのことが好き。明日、彼に自分の思いを伝えようと思っているの」
 沙希にとって、予想された言葉であった。
「そうなんだ…」
「私、今まで呼人くんが一緒にいる事が当たり前だと思っていた。家も近所だし、物心ついた頃から一緒にいたから、それが当たり前だと思っていた」
「…」
「でも、呼人くんがサッカー部に入るって決めた時から、私の中に不思議な感情が涌いてきたの。今まで一緒にいる事が当たり前だと思ったけど、もし彼がいなくなったらどうしよう…って。その時に自分の中で、彼がかけがえのない存在だという事に気がついたの」
 詩織の話を聞いて、沙希は気が楽になった。藤崎詩織といえば、誰もが認めるきらめきのスーパーアイドル。その女の子が、自分に対して本音をぶつけ、不安な気持ちをさらけ出している。決してスーパーマンではなく、私と同じ生身の人間なんだ、そう実感する事ができた、それが嬉しかったのだ。
「だから、あの時虹野さんに奪われた彼を、私は取り戻したい」
 詩織がそう言ったところで、沙希も話を始めた。
「私は藤崎さんみたいにプロポーションは良くないし、藤崎さんと違って、高校に入ってからのそれほど多くない時間しか彼を見ていません」
 今度は詩織が沙希の話を聞く番である。
「でも私が彼といた時間は、すごく濃い時間でした。私の想いをかなえてくれて、私も彼も、そしてチームのみんなも充実した時間を過ごせたと思います」
 沙希はそう言うと、自分の言葉を選ぶように少し間を開けた。
「私も藤崎さんと同じです。一緒にいるのが当たり前で、呼人くんがいない事なんて考えもしなかった。でも呼人くんが藤崎さんと一緒にいる事が多くなって、私、呼人くんがいなくなったらどうするんだろう? すごく不安になってしまいました」
 詩織は沙希の話を黙って聞いている。ブランコのギー、ギーという音がいやに大きく聞こえる。
「私、呼人くんと藤崎さんが一緒に文集を作っているのを後ろから見ながら思ったんです。

 私は呼人くんのことが好き。
 卒業式の日に、あの伝説の樹の下で呼人くんに告白する。
 そして呼人くんから好きだと言ってもらう。
 そして二人で一緒にこれからの人生を歩んでいく。
 笑い、怒り、悲しみ、楽しみ…
 そして結婚して、子どもを作って、楽しい家庭をつくる。
 そして、年をとっておじいさんとおばあさんになった時に、それまでの話を笑い話にしよう。

 でも、藤崎さんに呼人くんをとられたら…

 わたし、いったいどうなるのかな…

 そう思ったら、私怖くなって思わず涙を流していた」
 詩織もその後のセリフを聞きたそうな感じで身を乗り出した。
「私、藤崎さんが相手だと分かっても、一歩も引きません! 私、明日、伝説の樹の下で彼に告白します」

「分かったわ」
 詩織はぽつりと呟いた。
 しばらくブランコを漕ぐ音だけが聞こえてくる。
「虹野さん。私思うんだけど…」
「なんですか?」
「思いを2人とも伝えても、叶うのは1人だけ。もう1人はどうしても叶えられないよね」
「そうですね…」
「でもそれは彼の意志なんだから、私は悪い結果が出たら諦めるつもり。虹野さんもその覚悟はできているの?」
「そうですね…。でも彼が決めた事だから、私も納得するんじゃないかなと思います。それに…」
「それに?」
「私、他の人だったら辛いなと思うけど、彼が藤崎さんを選んだのなら、悔しいけど笑って祝福できると思う。何と言っても、私が好きになった彼の言葉だから…」
「私も、彼が虹野さんを選んだのだったら、多分自分の中では辛い想い出になるでしょうけど、笑って祝福します」
「それじゃ、明日勝負ね」
「うん、負けても恨みっこなしの、ね」
 そう言って沙希と詩織は別れた。

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 また足音が聞こえてきた。
 沙希も詩織も幹の陰から覗くと、今度は間違いなく「彼」であった。
「彼」は息せき切って伝説の樹の下に立った。

 沙希と詩織は同時に幹の陰から彼の前に姿を現した。
「詩織… 沙希…」
 彼はそう言って、背筋を伸ばした。

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